「心が神様から遠く離れていた宗教指導者たち」
- 佐々木 優
- 2022年7月23日
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2022年7月24日(日)
テキスト:マルコの福音書11:12~21 (新約聖書91頁)
イエス様はベタニアを出てエルサレムに向かう途中、空腹を覚えられ、遠くにいちじくの木が見えたので、その木に何かあるかどうか見に行かれたが、そこに来てみると、葉のほかには何も見つからなかった。何も見つからなかった理由として著者のマルコは、「いちじくのなる季節ではなかったからである」と説明している(12~13節)。
この時、季節は春先で、実のなる季節ではなかった。当然イエス様もそのことを知っていたはずであるが、しかし、イエス様はその木に向かって、「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。」(14節)と言われた。すると、翌日、イエス様と弟子たちが通りがかりにいちじくの木を見ると、その木は根元から枯れていた(20節)。
この出来事は、エルサレム神殿の指導者たちに対する警告としてイエス様がなさった驚くべき御業であった。
前日にイエス様が宮に入り、すべてを見て回った(11節)時にイエス様が感じ取られたエルサレム神殿の腐敗した状況は現実に起こっていた。
宮には異邦人の庭と呼ばれる外庭があり、ここで巡礼者たちは外国貨幣を両替して宮に納入金を納めた。両替人たちは多くの手数料を取って、莫大な金を儲けていた。また、いけにえの鳩は、宮の中では外の数倍の値段で売られていた。これらの商人たちの儲けの背後には祭司たちがいて、商人たちの儲けの上前をはねていた。また、当時のユダヤ人は宮の外側の庭(異邦人の礼拝の場)を神聖視せず、単なる道として行き来していた等、神殿の指導者たちは、商売や通行によって異邦人の礼拝を妨げていた。
そのような神殿の腐敗した状況をイエス様は憂いて商売人を追い払い(15~16節)、そして、人々に教えて言われた。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」(17節)
イスラエルの民、特に、律法学者・パリサイ人たちは、口先や外見上では神様を崇めているように見せているが、心は遠く神様から離れていて、故に、イエス様をメシヤとして受け入れようとはしなかった。