「御名のゆえに私を義の道に導かれます」
- 佐々木 優
- 2024年1月20日
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2024年1月21日(日)
テキスト:詩篇23篇3節後半 (旧約聖書954頁)
詩篇23:3後半「御名のゆえに私を義の道に導かれます。」
①「御名のゆえに」とは
元々のことばを見ると、「名前のために」という意味になっています。神様の名前のためにということ。
神様は神様の栄光のために私たちの人生を道具のように使っているのではありません。神様と私たちの関係は親子に例えられると聖書は教えています。
神様の御心は私たちが祝福されることです。
御名のゆえには、おそらく、御名のために頑張れという意味ではなく、次の部分との繋がり、「御名のゆえに義の道に」というようにまとめて受け取るのが正しいと思います。
つまり、神様の御名という角度から見た時にそれが義しい道なのかという問題です。
②「私を義の道に導かれます」とは
神様にあって義しい道とは、
1.神様がわたしたちを束縛から自由にしてくださること
出エジプトの出来事もしかり、「神の民が自由にされる」これは神様にあって義しいことなのです。「自由」このことばは神様の世界のキーワードです。神様の御心は神の民が自由にされること、私たちもイエスさまにあって自由にされることができます。
神様による自由を求めていく生き方です。今日のみことばに置き換えれば、その生き方自体、御名のために義の道に道びかれて行くことです。
2.神様がヤハウェ「命の源である御方」であることが明らかにされること
出エジプトで約束の地に行くまでに38年を要した意味は、神様がヤハウェ「命の源である御方」であることを知るということです(イスラエルの民も、そして、ペリシテ人などの敵も)。そのためにある程度の時間、遠回りが必要だったということです。ヤハウェの神が本当の神様だったということが知らされる。それが神様にあって義しいことだった。聖書はその道に導かれたと語っているのです。
神様にあって義しい道、「1.神様がわたしたちを束縛から自由にしてくださること」「2.神様がヤハウェ「命の源である御方」であることが明らかにされること」
これは、現象が(人間の思惑等々で)どう見えても変わらない。この詩篇の著者ダビデもしかり、神様の御業に関わった人たちは、この2つのことこそ御名のゆえに義しいことだ。また、御名のゆえに義しいことだったと納得したということです。
出エジプトの時、人間は利害と思惑でそれぞれ自由に動きました。ところが、それらが一つの目的に向かって動いていた。その目的とは、神様がヤハウェ「命の源である御方」であることをみんなが知るようになることなのです。