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「失敗から神様を深く知る」

  • 佐々木 優
  • 2022年11月19日
  • 読了時間: 3分

2022年11月20日(日)

テキスト:マルコの福音書14:26~31 (新約聖書99頁)


26節:そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。

この歌は伝統的に過越の食事で歌われた詩篇115~118篇から選ばれたものと思われる。

27節:イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。

イエス様はゼカリヤ13:7のことばを引用された。イスラエルに対するさばきとして王が打たれ、その結果、民はちりぢりに散らされるという預言者ゼカリヤのことばを引用し、ここでは、イエス様が捕らえられていく時に弟子たちが散らされるという意味で語られた。

28節:しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。

イエス様は捕らえられ十字架にて処刑されるが、よみがえり、再びガリラヤで弟子たちと会うことを予告された。

29節:すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」

ルカの福音書22:24によると、最後の晩餐の食卓で、「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という論議」が弟子たちの間で起こったと記されている。弟子たちは、もう間もなく、師であるイエス様がローマの国を武力で破り、ローマの国からユダヤを解放し、ユダヤの王に就くだろうと思っていた。そしてその時に備え、誰がどのポストに就くのかと、各々がライバル心をむき出しにして牽制しあっていたのである。

ペテロは、ローマとの戦いが起こった時に、仮に、自分以外のすべての弟子が怖気づき逃げるようなことがあっても、私だけはそんな腰抜けではないと啖呵を切り、No.1のポストをねらうための自己アピールをしたのだと思われる。

30節:イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

イエス様は、啖呵を切ったペテロの言葉とは裏腹に、この後ペテロが三度も、師であるイエス様を知らないと言ってしまう失態を犯すと予告した。

31節:ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。

ペテロは、イエス様のためにいのちも捨てる覚悟が自分にはあるのだと、No.1のポストをねらうために力を込めて言い張った。そして他の弟子たちも負けじと同じように言った。

 イエス様は、ご自分が捕らえられていく時に、弟子たちが逃げ去っていくことは聖書に預言されていることだと言った。 ペテロが三度もイエスを否むことも予告した。

 違う見方をすれば、これらは既に定められていたのである。人には神様のご計画によって定められていて、それには逆らえないことがあるのである。

 エゼキエル書には何度も、「そのとき彼らは、わたしが主であることを知る」(エゼキエル28:23等々)ということばがある。

 神様の預言通りに事が起こった時に、人々は、確かに神様が預言通りに事を起こされたことを知ったのである。

 イエス様の弟子たちも、この後、イエス様の予告通りの事が起こった時に、イエス様が神であることをまざまざと知ったのである。

 自分の弱さ故、罪故に、神様の言われていた通りに失敗をし、自分の理想の姿とはかけ離れた、惨めな姿を見せられて、その時、そのことによって神様の存在を深く知るという面が私たちにも起こるのである。

 失敗はできればしたくないだろう。惨めな思いもしたくないだろう。しかし、神様の計画されていることに無意味なことはない。私たちには計り知ることができなくとも・・・。

 失敗を通してこそ神様を知ることができるということがあるのである。


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