「各々に最善の宣教方法で」
- 佐々木 優
- 2017年7月22日
- 読了時間: 3分
2017年7月23日(日)
テキスト:ヨハネの福音書11:38~44 (新約聖書202頁)
○38節「そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。」
イエス様はラザロを死人の中から生き返らせることによって、ユダヤの人々がご自身を神であると信じてもらいたいと思われた。サタン(*1)はそのことをさせまいと妨げていた。イエス様はそのサタンに対して憤怒された。
39節「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい。』死んだ人の姉妹マルタは言った。『主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。』」40節「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」
イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と語ったご自身のことばをマルタに思い起こさせようとされた。
○41~42節「そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。『父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。』」
イエス様はここで、父なる神様に語りかけることもなく、ラザロを生き返らせることもできた。しかし、ここにいる群衆が、父なる神様がイエス様をこの地上に遣わされたことを信じるようになるために、あえて語った。
〇ユダヤ人たちが、父という言葉で神様を呼ぶ時には「天にいます」という修飾語をつけて「天にいます私たちの父」と呼んだ。しかし、ここでもイエス様は「天にいます私たちの」を付けずに「父よ」と呼ばれた。それは、「わたしは神と等しい存在である」と言っていることになることばであった。イエス様はラザロを生き返らせる前に、わたしは父なる神から遣わされた神である救い主であると群衆に伝えたのである。
○旧約聖書には救い主(メシヤ)の来臨を告げる数々の預言があるが、ユダヤの人々には、イエス様こそが、預言されてきたメシヤであるとの福音(*2)宣教の方法が必要だったのである。パウロはイエス・キリストを信じてもらいたいから、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。律法の下にある人々には、律法の下にある者のようになりました。律法を持たない人々に対しては、律法を持たない者のようになりました。弱い人々には、弱い者になりました。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。(Ⅰコリント9:20~22抜粋)と語りました。神様は、神様の下から離れ、的をはずして生きている人々に対し、福音を受け入れてほしいと願っておられる。そして、そのために、「~には~のように」と、各々にとっての最善の福音宣教をして下さっている。
*1 サタンとは、常に神への敵対者であり、神の計画を破壊する者。しかし、サタンは、イエス様の十字架と復活によって打ち破られ、すでに敗北者であり(ルカ10:18、ヨハネ12:31、16:11)、その力は派生的であり(ルカ4:6)、その活動は神が許された範囲に限られる(ヨブ1:12、2:6)。
*2 福音とは、イエス様を神であり罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じることによって、罪が赦され(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)、神様との愛の交わりの関係に戻ることができるという神様から人間への愛のメッセージ。