「十字架の贖いの史実を思い起こしなさい」
- 佐々木 優
- 2022年11月12日
- 読了時間: 3分
2022年11月13日(日)
テキスト:マルコの福音書14:22~25 (新約聖書98頁)
今日、教会で行われている聖餐式は、イエス様が十字架にかけられる前夜に行った、弟子たちとの最後の晩餐の席上で定めた礼典である。
聖書は、イエス様と弟子たちとの最後の晩餐が過越の食事であったことを描いている。最後の晩餐が過越の食事であるということは、聖餐式は過越の食事から出たと考えられる。かつて過越の子羊の死が、イスラエル民族をエジプトから救出したように、過越の小羊キリストが、その死によって「罪」よりの救出という新しい出エジプトを果たしたという真理が示されている。
かつてイスラエル民族が出エジプトを前にして神様は民に命じられた。
「あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。 あなたがたは、主が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、この儀式を守らなければならない。あなたがたの子どもたちが『この儀式には、どういう意味があるのですか』と尋ねるとき、 あなたがたはこう答えなさい。『それは主の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」(出エジプト12:24~27)それは、出エジプトという救済の歴史的事実を思い起こし、過越における神様の救いの御業を子孫に伝えるようにという命令であった。
24節に、「わたしの契約の血」とあるが、このことをルカの福音書では、「わたしの血による、新しい契約」(ルカ22:20)と表している。
古い契約は動物のいけにえの血を通して罪が赦されることを必要とした(出エジプト24:6~8)。しかし、祭壇に献げられる汚れのない動物の子羊の代わりに、イエス様は、ただ一度限りで罪を赦すいけにえとして、汚れのない神の子羊であるご自身を献げられた。過越の食事におけるパンとぶどう酒は、十字架にかけられて裂かれるイエス様の体と流される血にたとえたものであった。
イスラエルの民が過越の食事において出エジプトという救済の歴史的事実を思い起こすようにと命じられたように、イエス様は、聖餐において、イエス様の歴史的事実としての贖いの御業を「覚え」(思い起こすように)なさいと命じられたのである。
Ⅰコリント11:26には聖餐式のことを、「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。」とある。
毎年繰り返されていく過越の食事(儀式)には、神様の出エジプトという救済の御業を後代に伝えていくという責任があったように、今日、聖餐を受ける者は、イエス様の贖いの御業を思い起こし、その御業故に赦された者である恵みを覚えることによって、主の再臨までその御業を宣べ伝えていく者でありたい。