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「傷に触れて癒されていく」

  • 佐々木 優
  • 2024年4月14日
  • 読了時間: 4分

2024年4月14日(日)

テキスト:ルカの福音書24:13~35(新約聖書172頁)


イエスさまは復活の姿を二人の弟子クレオパたちに現し、エマオという村に着くまでの道中の間ずっと、二人の心の目が開かれるようにと働きかけ続けました。イエスさまは、最後の晩餐を思い起こさせるように、パンを取り、神さまをほめたたえ、裂いて彼らに渡すとクレオパたちの目が開かれました。イエスさまは、最後の晩餐の時、ご自分がこれから経験する十字架のことを象徴的に表されました。イエスさまはご自分が引き裂かれることを引き受けられました。ですから引き裂かれた現実を癒すことができるのです。クレオパたちの将来への失望、あるいは、自分たちもイエスさまを裏切ったという罪責感とそんな自分への失望・・。引き裂かれたパンを受け取った時、クレオパたちの心の傷の癒しが始まったのだと思います。

私たちの様々の心の傷も引き裂かれたイエスさまの十字架によって癒されて行くのだと思います。

 クレオパたちは復活のイエスさまに出会った後にエルサレムの弟子たちのところに行きました。ここでクレオパたちを待っていたのは11人の弟子たちでした。11人とは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、ヤコブ、タダイ、シモンです。イスカリオテ・ユダはいませんでした。ユダのいない11人でした。ユダはイエスさまを裏切ったからです。ここで受難週の福音書の記録を確認しておきます。

 マルコ14:18 そして、彼らが席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります。」

 14:19 弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。「まさか私ではないでしょう。」

 マルコは福音書の中でも最初に書かれたと思われていますが、おそらく15年かあるいは20年ぐらい時間が経って、次に書かれたマタイの福音書はユダのことを実名であげています。

 マタイ26:21 皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」

 26:22 弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。

ここまではマルコと同じなのですがマタイは付け加えます。

 マタイ26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

 このように見ていきますと時間が経つにつれて福音書の書き方はユダが悪かったという論調に変わっていきます。しかし少なくとも最初の段階ではペテロを筆頭に弟子たちは皆、自分もユダと変わらないという受けとめをしていたということです。クレオパたちが戻った時の弟子の11人は、もしかしたらそこに居ない一人は自分だったかもしれない、そう思った人たちでした。聖書の中では12は気持ちのいい数字です。イスラエルの神の民は12部族でした。7が完全数と言われるのと似ています。11は落ち着きの悪い数字です。欠けがありました。しかし、完璧でなくてもいいと気づく時、欠けがあってもいいと気づく時、失敗があってもいいと気づく時、理想的でなくてもいい、むしろ理想的でない方がいいと気づく時、そこに何かが生まれるのです。

 イエスさまの一番弟子ペテロにも傷がありました。それはイエスさまのことを三度も知らないと言って裏切ったという心の傷、知らないと言った後、イエスさまの預言通り鶏が鳴いたのでペテロのシンボルマークは鶏となったかもしれません。各地の講演会でもイエスさまへの裏切りを話さざるを得なかったのではないでしょうか・・。しかしそのことによって、どれだけ多くの信仰者が、どんな失敗があったとしても何度でも神さまの前に人生はやり直せると知ったのではないでしょうか・・その人の持つ傷、あるいは欠けは人を癒す力があるのではないでしょうか・・。

 クレオパたちは、自分もユダと同じと思っていた弟子11人の心の傷に触れて、自分たちの失望、悲しみ、見放されたという思いは癒されていったのだと思います。

 本日の聖書箇所は、イエスさまの裂かれた傷、十字架によって傷が癒されていく、同じような心の傷に触れて傷が癒されていくということを示しているのだと思います。



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