「信じる者は死んでも生き続けている」
- 佐々木 優
- 2017年7月29日
- 読了時間: 3分
2017年7月30日(日)
テキスト:ヨハネの福音書11:38~44 (新約聖書202頁)
○38節「そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。」
39節「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい。』死んだ人の姉妹マルタは言った。『主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。』」
40節「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」
41節「そこで、彼らは石を取りのけた。・・・」
43~44節「そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。『ラザロよ。出て来なさい。』すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。『ほどいてやって、帰らせなさい。』」
〇ラザロは死人の中から生き返らせられた。イエス様は何故大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれたのか。それはラザロに聞こえるためにだったのではないか。イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と言われた。イエス様を神であり神から遣わされた救い主であると信じていたラザロは肉体の死は迎えたが、魂は神様と共に生き続けていたのである。そして、神様の肉体を生き返らせる御業によって、死んだ肉体が生き返り、生き返りたてではあったが、イエス様の大声が聞こえ、墓から出てきたのである。この後の出来事であるが、イエス様が十字架にかけられた時、ふたりの犯罪人が、イエス様とともに十字架にかけられた(ルカの福音書23:32~43)。犯罪人の1人は、イエス様に対して罵倒し、侮辱の数々、残虐行為を行っている者たちに対して、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈るイエス様の姿を見て、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言った。この犯罪人の1人はこのように言うことで自分が死んだ後、天国に行けるなどとは思っていなかったであろう。命乞いをするつもりもなかったであろう。ただ、イエス様の姿を見、自分の醜さを痛感した故に、イエス様が御国の位に着かれる時に、私のような者がいたことを思い出して頂くだけでうれしいですという思いを述べたのであろう。そんな彼にイエス様は、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われた。それは、この犯罪人の1人が肉体の死は迎えるが、その瞬間、魂はイエス様と共に生きているということを示している。肉体はないが、意識のある存在としてイエス様と共に生きているということを。
〇私たちも含め、イエス様を信じる者は、仮に肉体の死を迎えても、魂は神様と共に生き続ける者とされているのである。