top of page

「信じる者は死んでも生き続けている」

  • 佐々木 優
  • 2017年7月30日
  • 読了時間: 3分

2017年7月30日(日)

テキスト:ヨハネの福音書11:38~44 (新約聖書202頁)

 

38節「そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。」

 39節「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい。』死んだ人の姉妹マルタは言った。『主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。』」

 40節「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」

 41節「そこで、彼らは石を取りのけた。・・・」

 43~44節「そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。『ラザロよ。出て来なさい。』すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。『ほどいてやって、帰らせなさい。』」


〇ラザロは死人の中から生き返らせられた。イエス様は何故大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれたのか。それはラザロに聞こえるためにだったのではないか。イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と言われた。イエス様を神であり神から遣わされた救い主であると信じていたラザロは肉体の死は迎えたが、魂は神様と共に生き続けていたのである。そして、神様の肉体を生き返らせる御業によって、死んだ肉体が生き返り、生き返りたてではあったが、イエス様の大声が聞こえ、墓から出てきたのである。この後の出来事であるが、イエス様が十字架にかけられた時、ふたりの犯罪人が、イエス様とともに十字架にかけられた(ルカの福音書23:32~43)。犯罪人の1人は、イエス様に対して罵倒し、侮辱の数々、残虐行為を行っている者たちに対して、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈るイエス様の姿を見て、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言った。この犯罪人の1人はこのように言うことで自分が死んだ後、天国に行けるなどとは思っていなかったであろう。命乞いをするつもりもなかったであろう。ただ、イエス様の姿を見、自分の醜さを痛感した故に、イエス様が御国の位に着かれる時に、私のような者がいたことを思い出して頂くだけでうれしいですという思いを述べたのであろう。そんな彼にイエス様は、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われた。それは、この犯罪人の1人が肉体の死は迎えるが、その瞬間、魂はイエス様と共に生きているということを示している。肉体はないが、意識のある存在としてイエス様と共に生きているということを。


〇私たちも含め、イエス様を信じる者は、仮に肉体の死を迎えても、魂は神様と共に生き続ける者とされているのである。

最新記事

すべて表示
「そのままでいいよを伝えるために」

2026年2月15日(日) テキスト:ルカの福音書4:38~44 (新約聖書117頁)   イエスさまが地上におられた時の活動の目的は 「神の国の福音を宣べ伝える」(44節) ためであったと言えるでしょう。神の国とは、一人一人の存在と尊厳がそのまま認められ、温かい寄り添いがされる場です。そしてそれを引き継いでいるのが教会です。  イエスさまは失敗や罪を責めることもなく (ヨハネ8章の姦淫の現場を押

 
 
「イエスさまが守って下さっているーサタンの活動はほとんど意識しないー」

2026年2月8日(日) テキスト:ルカの福音書4:31~37 (新約聖書116頁)   (4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。) ナザレ(標高360m)からカペナウム(標高マイナス200m)までは下りである。カペナウムは、ガリラヤの町である。漁業の町で、ペテロとアンデレのホームタウンである。 (4:32 人々はその教えに驚いた。その

 
 
「苦難の前には神さまからの力づけがある」

2026年2月1日(日) テキスト:ルカの福音書4:20~30 (新約聖書116頁)   (4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。) 故郷に凱旋したイエスさまが故郷の自分たちに何を語ってくれるのかと大きな期待を持っていたのでしょう。 (4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現

 
 
bottom of page