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「人間の醜ささえも」

  • 佐々木 優
  • 2023年2月25日
  • 読了時間: 5分

2023年2月26日(日)

テキスト:マルコの福音書15:1~15(新約聖書102頁)


 夜が明けると、ユダヤ人指導者たちは死刑の執行を求めて、総督ピラトにイエス様を引き渡した(1節)。ポンテオ・ピラトは、紀元26年に、ローマの皇帝ティベリウスの命をうけ、ローマ帝国の直轄属州ユダヤの総督として着任し、ユダヤに対して大変に厳しい政策をとり、ユダヤの最高議会であるサンヘドリンをローマの監督のもとにおくとともに、死刑を宣告する権限を奪った。イエス様が死刑の宣告を受けるためには、ローマの指導者によって判決が下されなければならなかった。ユダヤ人指導者たちは、イエス様に十字架刑を受けさせたかった。ユダヤ人は、十字架刑による死を神からののろいをもたらすものと信じていたので(申命記21:23)、ユダヤ人指導者たちは、イエス様は神に祝福された者ではなく、のろわれた者であったとユダヤの民衆を納得させたかったのである。しかし、神を冒涜したからといって、それを根拠にローマの法廷で裁くことはできなかったので、ユダヤ人指導者たちは、イエス様が王と名乗り、ローマ皇帝の権力を脅かす存在であると訴えた(ルカ23:1~2)。

 そこで、ピラトはイエス様に尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」それに対してイエス様は答えられた。「あなたがそう言っています。」(2節)イエス様は、そう言っているのは「あなた」であると述べている。イエス様にはこれが不当な裁判であってもそれに対して何も述べる気がなかったように思われる。

 3節「そこで祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。」ユダヤ人指導者たちは、イエス様がローマへの税金納入を禁じる指導をしたとか、ユダヤ全土で民を扇動してローマ皇帝に反旗を翻しているなどと訴え出ている(ルカ23:2、5)。

 ピラトは公正にイエス様に弁明の機会を与えようと試みる(4節)。しかしイエス様は何も答えなかった(5節)。イエス様は黙していた。これはイザヤ書53:7の預言の通りであった。

 「ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていた」(10節)。ピラトは、イエス様に罪は認められないという確信をもっていた。ピラトが本気になってイエス様を釈放しようと思えば釈放することができたのだが、彼はユダヤ人の口からイエス様の釈放を要請させるという形でそれを実現しようと考えた。それはユダヤの指導者たちを敵に回すことを避けようという政治的な思惑があったからであろう。

 ヨハネの福音書には「バラバは強盗であった」(18:40)とあるが、バラバはかなり名の知れた罪人であり、盗賊であり、都に起こった暴動に参加したこと、殺人を犯した者であった。

<強盗>ギリシャ語レーステースのことをヨセフス(帝政ローマ期の政治家及び著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。)は、熱心党を指す時に用いる言葉で(ヨセフス『ユダヤ戦記』Ⅱ:253-254)、「このバラバは強盗であった」というのは、恐らくバラバが熱心党運動の過激な革命的活動で逮捕されていたことを示す。(実用聖書注解)彼が暴動に参加し、殺人を犯しても、ユダヤをローマから解放するという請願を立てた人物として、ユダヤ人からは単なる罪人だとは見られない、そのような人物だったのではないかという説もある(ウイリアム・バークレー『ヨハネ福音書 下』)。

 11節~15節:祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは再び答えた。「では、おまえたちがユダヤ人の王と呼ぶあの人を、私にどうしてほしいのか。」すると彼らはまたも叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。

 この時、ユダヤ最大の祭りである過越の祭りに、おびただしい数の巡礼者が集まっていた。祭司長たちが聖なる律法を盾にしてイエス様を神に対する冒涜罪であると群衆に訴えかければ騒ぎが起こることは必至であった。騒ぎが起これば、ピラトの地位は危うくなる。

 ピラトは出来る限りイエス様の釈放につながるよう努力をした。しかし、イエス様を釈放するならば、カイザル(ローマ皇帝)に反逆することになると脅迫されて(ヨハネ19:12)、ピラトの心は大きく自己保身の気持ちに傾く。時の皇帝テベリオは「疑い深い暴君」と呼ばれていた。その皇帝の味方でないと思われる危険を冒すことは、ピラトにはとうてい耐えられないことであった。そしてついにピラトはイエス様に死刑の宣告をする決心を固めた。

 むち打ちの刑は恐るべき極刑の一部であり、それは残虐な拷問であった。背中が完全に現れるように柱に縛り付けられ、金属や、研ぎ澄まされた骨付きの長い革製のむちで打たれた。それは文字通り、人の背中をべろりとかきむしってしまう。そのものすごい試練の後で、まだ意識があるような人はめずらしい。ある者は死に、多くの者は狂乱状態になる。ピラトは、イエス様をこのように扱うことでユダヤ人たちが満足し、死刑の要求を取り下げることを望んでいたのであろう。

 イエス様の十字架刑は、ユダヤ人指導者たちの妬み、ピラト自身の本意を曲げての自己保身、様々な人間の醜さが絡み合って進められていった。これらによって結果的には、ピラトの治世に国家の公式の刑として、イエス様の十字架刑は歴史上の事実として明確に残されたのである。私たちには計り知ることのできない神様のご計画の下、私たちの救いが成り立っていったのである。

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