「人を突き動かすもの」
- 佐々木 優
- 2022年10月22日
- 読了時間: 3分
2022年10月23日(日)
テキスト:マルコの福音書14:1~11 (新約聖書97頁)
本日の聖書箇所には大きく分けて2つの面が表されている。
①人間の醜さ
〇1~2節:宗教指導者たちは、イエス様に自分たちの宗教的偽善等を指摘され、腹を立て、殺意を燃やしていく。
〇イスカリオテのユダは師であるイエス様への恩を仇で返すような行動を起こしていく。
4節「何人かの者が憤慨して」とあるが、ヨハネの福音書では、これはユダであると名指ししている(ヨハネ12:4,5)。三百デナリ相当(当時の約1年分の労賃)の香油をイエス様の頭に注いで無駄にしたと憤慨したユダは、貧しい人への気遣いから憤慨したのではなく、自分の貪欲に基づいて憤慨した。ユダはイエス様の働きにおいて会計係をしていたが、その資金を使い込んでいた(ヨハネ12:6)。ユダは三百デナリ相当の香油をお金に換えるなりしてイエス様に渡してくれれば自分にとって特になると思ったのであろう。
10~11節には、ユダの裏切りの行動が記されている。ユダはおそらく、イエス様が政治的な反乱を開始してローマを打倒することを期待していたのであろう。イエス様による新政府樹立時には、会計係として重要な地位が与えられると思っていたのであろう(他の弟子たちもだいたい似たり寄ったり)。しかし、イエス様がマリアが1年分の給料の価値があると思われる香油を注いだことを褒めた時、ユダは、この先、イエス様に付き従っては行けないと思ったのかもしれない。あるいは、お金でイエス様を売り渡したとしても、イエス様は奇跡を起こして捕らえられることなんてないと思ったのかもしれない。いずれにしてもユダは、自分にとって特になることは何かを考えつくし、自分の頭で計算した通りになるだろうと思ったのではないか・・。
②感謝の思いに溢れていたマリア
〇マリアが三百デナリ相当の香油をイエス様の頭に注いだ理由はいくつかあると思われる。
・愛する弟ラザロ(両親亡き後、強い兄弟愛で結ばれていたと思われる三人)を死人の中から生き返らせてくださったイエス様への感謝のお返しとして。しかし、現物のまま渡すつもりでもあったのではないか・・。
・イエス様がマリアの家を訪れる時には、常に、イエス様の話しに聞き入っていた(ルカ10:39)であろうマリアは、この後、イエス様が十字架にかけられ、死に、墓に葬られることをそれなりに察したのではないか・・。そして、埋葬に備えて前もって香油を塗った。あるいは、マリアからの感謝のお返しの話をされたイエス様が、その香油を頭に注いでほしいとイエス様がマリアにお願いした・・。
マリアの行動は、イエス様への溢れる感謝の思いが突き動かしたと言っていいだろう。そこには、ユダにみるような打算的な思いは微塵も感じられない。私たちを突き動かすものは何だろうか・・。