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「人にはできないこと」

  • 佐々木 優
  • 2022年4月2日
  • 読了時間: 4分

2022年4月3日(日)

テキスト:マルコの福音書10:17~27(新約聖書87頁)


 17節:イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」

 並行記事では、この人は、青年(マタイ19:20)であり、指導者(ルカ18:18)であった。彼は地位も名誉も財産も持っていた。当時のユダヤでは、富を得ているというのは、神様から大いに祝されている証拠であり、神様の国に近い者であると考えられていた。しかし彼には、永遠のいのちを受けているという確信はなかったのである。彼は「駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた」とあるように、イエス様に対する深い尊敬の念を抱いていたのだと思われる。そして、何か満たされない心の欠乏に対する探究心も旺盛であった。

 彼は「永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」とイエス様に質問した。

 19節:戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」

 イエス様は、それは神様の神意が示されている律法に記されているではないかと言われた。

 彼は「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」(20節)と言った。

 21節:イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」

 これは、イエス様が律法を要約された2つの柱の1つ「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:39)の実際的な適用であった。そして、「わたしに従って来なさい。」は「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(マタイ22:37)の実際的な適用であった。

 22節:すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。

 多くの財産を持っている彼が、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与え」るということは容易なことではなかった。

 イエス様は、「あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります」と言われ、永遠のいのちが与えられるとは言わなかった。

 聖書から論理的に考えれば、人が律法を完全に守り通すことができれば天国に行けると言える。しかし、イエス様は、彼に律法の実際的な適用を示し、人間が律法を完全に守り通すことはできないということを示されたのである。

 私たちにも同じような形(持っている物をすべて売り払い・・)で、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」の具体的な適用を命令されたならば、それはできませんとなるのではないだろうか・・。

 23節~27節:イエスは、周囲を見回して、弟子たちに言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」弟子たちはイエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて彼らに言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、なんと難しいことでしょう。 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」

 「らくだが針の穴を通る」ことは不可能である。すなわち、人が永遠のいのちを自分のものとして受けることができるのは、ただ神様の御業以外にはないということを言われたのである。それはイエス様の贖いの十字架・復活を信じることによって罪赦され、永遠のいのちを得るという神様からの恵みの福音を受け入れるという道しかないのである。

 熱心な青年は、律法が示すこと以外の何かの行いによって永遠のいのちが得られるのではないかと考えてた。しかし、それは人の行いでは得られないものなのである。

 罪赦され、永遠のいのちを得るということ。それは、「人にはできないこと」なのである。

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