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「人として生まれて下さったイエスさま」

  • 佐々木 優
  • 2024年12月1日
  • 読了時間: 3分

2024年12月1日(日)

テキスト:ヘブル人への手紙2:17(新約聖書110頁)


イエス・キリストの二性一人格論論争に関して、451年に開かれたカルケドン公会議において、イエス・キリストという方について以下なような決議がなされた。「神性によれば御父と同質、人性によれば私たちと同質」「二つの本性において混同されず、変わることなく、分割されず、分離されない」

ヨハネの福音書1:1「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」ヨハネの福音書1:14「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

 「ことば」とは、イエス・キリストのことである。そのことば(イエス・キリスト)は、神とともにおり、同時に神そのものであった。そのような御方が、一人の完全な人間となって私たちの間に来て下さった。このことばを書いたイエスさまの弟子のヨハネは、三年余りイエスさまと寝食を共にしたが、そのヨハネがイエスさまを「父のみもとから来られた(神の)ひとり子」と理解し、その栄光を地上で目撃したと記した。ヘブル人への手紙2:17には、「したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。」とある。「すべての点で兄弟たちと同じように」なられた。同じようになるとは、まさに、神であり神の御子である方が完全に一人の人間となられたということである。

 イエスさまは人間となるということで以下のようなことを引き受けなければならなかった。

①父親が不明な子どもとして誕生

 マタイの福音書1:20「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」

 ヨセフは形式的な父親であり、イエスさまはヨセフとは血のつながりのない子どもとして生まれた。

「聖霊によって身ごもった」と聞けば、周囲の人々は疑ったであろう。父親が不明、これだけでヘブルの社会では人間扱いされなかったということを考えると大変な出生事情であった。いじめを受けるということもあったかもしれない・・。

②母子家庭

 ヨセフは早死にしたと考えられている。ヨセフは大工を仕事としていたが、当時の大工とは石切り工であり、毎日、石や木を切り出す仕事であった。石の粉塵やかんなくずを浴びながら、若いうちに肺がダメになってしまうので、それで早死にする人が多かった。ヨセフもその一人だったのではないか・・。イエスさまの家庭には兄弟が5人以上はいた(マルコ6:3参照)。父ヨセフが早死にしたとすれば、その後は更に経済的に苦しかったのではないか・・。

 イエスさまは、明日食べる物のない人々のことを理解された(マタイ5:3)。

③親の不理解への葛藤

 イエスさまが12歳の時の出来事として、「しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。」(ルカ2:50)とある。イエスさまは神でもあるが故に理解されにくい面が両親のみならず、兄弟たち(マタイ13:55、56)にもあったであろう。

④生まれて来る環境を選べなかった

 神であるイエスさまは人間としてこの地上に来て下さった故に、私たち人間と同様に生まれて来る環境を選ぶことができなかったのである。親(ヨセフ、マリア)を選びことはできなかったのである。これが人間として生まれて来るということであった。


 イエスさまは人間として生まれるということを嫌という程に経験されたのである。その方が私たちとともにいて下さるのである。

 マタイの福音書1:23

 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

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