「主の視点から自分の人生を誇りに思う」
- 佐々木 優
- 2023年7月29日
- 読了時間: 8分
2023年7月30日(日)
テキスト:ローマ人への手紙6:10~11 (306頁)
パウロはイエス様の復活によって人生が一変した人物です。
パウロは、パリサイ派というユダヤ教の一派の中でも厳格派のパリサイ派であり、クリスチャンを激しく迫害する人物として新約聖書に登場しました。彼は、誰彼かまわず、クリスチャンであれば、かたっぱしから捕まえて投獄し、キリスト教の根絶に乗り出した人物でした。
パウロがキリスト教根絶に向けダマスコという地へやって来た時、「突然、天からの光が彼の周りを照らした。」と、使徒の働き9:3に記されています。そして、その光の中から、イエス・キリストが、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」と語りかけました。パウロが、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」との答えがあったのです。
神に忠実であることを示すために、クリスチャン迫害を決意し、ダマスコまでやって来たのに、イエス・キリストが神であったとは予想もしなかったことでした。真理のためと思い迫害者になったのに、神であるメシヤの迫害者になってしまっていたのです。
ユダヤ教とキリスト教の違いを簡単に言ってしまえば、イエス様をメシヤとして受け入れるか否かにあるということになります。パリサイ派で、律法を教える指導者であったパウロは、聖書に精通し、神から遣わされるメシヤ理解のみならず、罪、救い、信仰について十分に理解していました。ただ、ナザレのイエスを神であり、神から遣わされてきたメシヤとして認めることはできませんでした。パウロの聖書理解は、イエス様をメシヤとして認めれば、すべてを理解できるまでのレベルに届いていたのです。そのパウロは、十字架につけられ死んだイエスがメシヤであるわけがないと断定していたのです。
しかし、復活したイエス様に出会い、十字架で処刑されたイエス様が、旧約時代の預言者イザヤの語る苦難のしもべであったことも理解できたのです。すべての誤解が解けたパウロの人生は変わりました。当時の世界の中心地、ローマ・ギリシャ世界を飛び回り、イエス・キリストの福音を宣べ伝える者へと変えられたのです。
しかし、パウロは復活されたイエス様に出会い、すぐに、ローマ・ギリシャ世界を飛び回る福音宣教者となったのではありません。
ガラテヤ人への手紙1:13~18にはこう書かれています。
「ユダヤ教のうちにあった、かつての私の生き方を、あなたがたはすでに聞いています。私は激しく神の教会を迫害し、それを滅ぼそうとしました。また私は、自分の同胞で同じ世代の多くの人に比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖の伝承に人一倍熱心でした。しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が、異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。」
パウロは復活されたイエス様に出会った後、人々に会うことを避けて、3年余りの期間、アラビヤの荒野で、一人聖書を読み、祈り、考える時を持っていたのだと考えられます。そして、イエス様が旧約時代に預言されたメシヤであったということを原点に、もう一度聖書を整理しつつ学び直したのだと思われます。その結果、すべての事柄が納得できたのだと思います。
そして、パウロはイエス様に出会う前に身に着けた様々のものを用いて、イエス様が神であり救い主であることを宣べ伝えることに生涯をささげたのです。
パウロは、タルソという学問がさかんな都市で生まれ、そこで、かなりレベルの高い学問を身につけました。ギリシャ語を自由に操り、ギリシャ哲学を熟知していた故に、
当時の世界で権力をもっていたローマの支配を恐れることなく大胆に福音宣教に励むことができました。
パウロが育ったタルソは、天幕作りなどの手工業が盛んで、それらの天幕業などで潤った街でした。パウロのお父さんも天幕職人として成功を収めていたと考えられていて、パウロも父親の職業を引き継ぎました。パウロは天幕作りから得られる収入で生計を立て、教会から給料をもらうことをしませんでした。教会に負担をかけまいとし、平日は天幕職人として働き、安息日にはユダヤ人の集まる会堂を中心にイエス様のことを語りました。かつて、パウロは、ラビという聖書を教える指導者を育てる学校の最難関であったガマリエルのラビ上級学校という学校でも学んでいましたので、ユダヤの人たちに旧約聖書で預言されていたメシヤがイエス様であることを的確に論じることができました。
本日の聖書箇所に戻りますが、
10節「なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。」
「キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれた」とありますが、イエス様は、罪を犯したことのない御方でしたから、「罪に対して死なれた」という「罪」とは、イエス様が犯した罪ではありません。ここで使われている「罪」という語は、ギリシャ語で単数形で表されていますので、「数々の罪」とか、「罪々」ということを表しているのではありません。すなわち、人間一人一人が犯す「数々の罪」のことを指しているのではありません。では、イエス様は何の「罪」に対して死なれたのかというと、人類の先祖アダムが犯した「罪」のために死なれたのです。「罪」と訳すことばのもともとの意味は「的外れ」ということですが、人類の先祖アダムは、神様との愛の交わりの中で満たされて生きる者として造られましたが、アダムは自らの意志で、自分の考え方をルールの基準として(簡単に言えば自己中心)生きたいと思い、自らが神のようになりたいと思い、そして、そのような生き方を選び取りました。神様との愛の交わりの中で生きることに自分の存在意義がある道を選び取らなかったのです。この選び取った生き方が的外れだったのです。しかし、神様は、アダムが自らの意志で、神様との愛の交わりの中から離れていった時、神様がお与えになった自由意志という機能で選択をしたその選択さえ尊重してくださったのです。
これが、この時、神様のなされた判決(ヨハネ3:17、18で「さばき」と訳していることば)であり、そして、神様という御方の愛の大きさが表された判決でした。
神様は、その後も、その判決のまま、人類の自由意志を尊重してくださり、その判決の状態のままで、その判決権をイエス様にゆだねられました。
イエス様は「ただ一度罪に対して死なれ」ました。
イエス様が十字架にかけられ死なれた時、神様との愛の交わりが断絶されました。この神様との断絶は、アダムが自らの意志で、神様との愛の交わりの中から離れていった時の状態とは違いました。アダムも、そして、その後の人類が神様との愛の交わりの中から離れていても、イエス様が経験された断絶とは違います。アダムは自らの意志で、神様との愛の交わりの中から離れて行き、的外れな生き方を選びましたが、イエス様は十字架刑において、神様との愛の交わりからの究極な的外れを経験され、そして、死からよみがえり、その的外れな生き方から分離して生きる道を開いてくださったのです。これが「イエス様がただ一度罪に対して死なれた」という意味です。
11節「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。」
パウロは、イエス様に出会い、3年余りの時間をかけ熟考した結果、ここに記した「自分は罪に対して死んだ者であり」の「罪」を自分自身の内側にある「醜さや汚れ」のようなものとは理解しませんでした。パウロは、イエス様を信じる以前の自分の生涯を汚れたものとしては理解しなかったのです。故に、福音宣教のために、かつて自分が身に付けた、高等学問、ラビとしての専門知識を大いに用い、また、生計は天幕職人という生き方をしたのです。イエス様に出会う以前の自分が身に着けたものを、神様が自分に与えてくださったすばらしいものとして見ることができたのです。
「神に対して生きている者だと、認めなさい」の「認めなさい」(ギリシャ語、ロギゾマイ)は、算数の用語、よく計算して、答えを出しないという意味。感情ではなく、知的理解に立ち、認め続けなさいと述べている。
復活したイエス様に出会ったパウロは、自分の生涯を、ずっと愛し見守り続けてくださっていた神様であることを知ったのです。あのクリスチャン迫害に燃えていた時も、神様は自分の存在を否定せずに愛してくださっていたのだと分かったのです。
ローマ人への手紙5:8には「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」とあり、5:10には「敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。」とあります。
クリスチャン迫害者として間接的にではあれ、クリスチャンを殺していたそんな時でさえ、神様は私を愛してくださっていたのだとパウロは知ったのです。なおさら、イエス様を知る以前の生涯も含め、自分の生涯すべてを愛してくださっていた神様を知ったのです。自分の存在を愛してくださっていた神様を知ったのです。イエス様に出会ったパウロは「主にあって自分の人生のすばらしさに気づいたのです」人知を超えた神様の愛の視点から自分の人生を見た時に「主にあって自分の人生を誇りに思えたのです」
そして、キリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認め続けて生きたのです。