「主が導く道には希望がある」
- 佐々木 優
- 2022年12月3日
- 読了時間: 3分
2022年12月4日(日)
テキスト:マタイの福音書1:18~25 (1頁)
18節「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」
この時、ヨセフとマリアは婚約期間中であった。ユダヤの婚約は、法律上は夫婦として認められていたが、一年の婚約期間を過ごした後に、夫婦としての実生活が始まるということになっていた。
この婚約期間中にマリアは聖霊の働きかけによって妊娠するが、ヨセフは、そのお腹の子が自分と血のつながった子どもではないと分かったので、そのことが世間に知られれば、マリアは姦淫を犯したということになり、ユダヤの民法によれば、ヨセフにはマリアを離縁する権利があり、また、彼女とその相手を石で打って殺してもよいという条項があった(申命記22:23、24)。しかし、当時は寛大な離婚法というものがあり、公にはしないで離婚状を書いて内密に去らせるということができた。
ヨセフには二つの選択肢しかないように思われた。密かに離縁するか、あるいは、マリアを石打ちにさせるかである。密かに離縁といっても、結婚をするという喜びに満ちていたヨセフにとって、愛する婚約者と別れなければならないというとてつもない悲しみがあったであろう。また、離婚状を受け取った後のマリアのことを考えれば、女手一つで子どもを育てていかなければならないことや、世間の冷たい目にさらされながら生きていかなければならないというマリアの苦しみを思うと、やりきれない思いが溢れたことであろう。
しかし、神様は三つ目の選択肢を与えて下さった。それは、マリアとすぐに結婚することだった。この選択肢はヨセフの中にはなかったであろう。そして、この選択肢を選んでも、ヨセフがマリアとの結婚に同意することで、ヨセフはマリアを妊娠させた当事者であると疑われるであろうことが予想された。
しかし、この神様が示された三つ目の選択肢は、ヨセフにとっては一番希望が見える道だったに違いない。他の二つの選択肢はヨセフにはあまりにも辛すぎる道であったろう。しかし、神様がここが進む道だと示すところは、辛さはあっても、そこに希望を見出せる道なのである。そして、その道にどうしても導く必要がある時には、主の使いを送って(単なる夢ではなく)までも、その道に導いて下さるのである。
神様のご計画は必ず成就する。
22~23節:このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
神様は、ご自身の計画されている道に導くべく、困難に見える道にも希望を見せつつ導かれるのである。