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「一粒の麦が地に落ちて死んで下さったから」

  • 佐々木 優
  • 2017年9月10日
  • 読了時間: 3分

2017年9月10日(日)

テキスト:ヨハネの福音書12:20~26 (新約聖書205頁)

 

○ユダヤ教に改宗したギリシヤ人幾人かが巡礼に来ていた。この人たちがイエス様に会わせてもらえないだろうかと弟子のピリポに願い出る。ピリポはその旨を弟子のアンデレに伝え、アンデレとピリポはその旨をイエス様に伝える。26節「わたしに仕えるというのなら」のことばから察するに、この異邦人改宗者たちはイエス様の弟子になりたいと願い出たのだと思われる。その願いに対するイエス様の応えが23節~26節に述べられている。


24節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

 このことばは、この後、イエス様が人間を贖うためにかかられる十字架刑のことを意味している(23節も)。イエス様が十字架にかかられなかったなら、人間の罪の赦しはなかった(「それは一つのまま」だった)。しかし、イエス様が十字架にかかって下さったことにより、イエス様を信じる者に罪(*1)の赦しと永遠のいのちが与えられることとなった(「豊かな実を結びます」)。イエス様はイエス様の弟子になりたいと願い出た異邦人改宗者たちに、「わたしは今から人類救済のために十字架にかかりに行くのである。」と返事をしたのである。おそらく、この異邦人改宗者たちも、周囲の群衆同様、イエス様をローマ帝国の圧政から武力をもって解放するメシヤ、戦いの王であると思っていたのであろう。そして、その戦いの王に仕えたいと願い出たのであろう。それはこれから十字架上に命を投げ出すイエス様の思いとはかけ離れていた。イエス様に仕えたいと願う彼らの動機は、「このイエスなら、ローマの圧政からユダヤを解放し、ユダヤの王に君臨するに違いない。その時、自分たちは王の側近となっていたい」というようなことだったのであろう。これはイエス様の言われる「自分のいのちを愛する者」であり、その者は「それを失い」、「この世でそのいのちを憎む者」自分の私利私欲のためではなくイエス様を信じる者は、「それを保って永遠のいのちに至るのです。」(25節)


○イエス様は異邦人改宗者たちに語る。26節「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」

 このことばは、「わたしに仕えるというのなら、捕らえられ十字架にかけられていくわたしについて来なさい。ついて来るところには様々な心の痛み苦しみが伴うだろう。しかし、父なる神はその人に報いてくださる。」ということを述べている。


○イエス様の十字架はユダヤ人のつまずきとなった。ユダヤ人の期待したメシヤの姿ではなかったからである。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント1:18)私たちは、一粒の麦が地に落ちて死んで下さったことによって、豊かな実を結ぶ者とされたのである。

*1:イエス様を神であり、罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じる者に罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)を与え、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるものとして下さること。

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