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「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」

  • 佐々木 優
  • 2022年8月28日
  • 読了時間: 4分

2022年8月28日(日)

テキスト:マルコの福音書12:13~17 (新約聖書93頁)


祭司長たち、律法学者たち、長老たちは、イエス様のことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエス様のところに遣わした(13節)。そして彼らはイエス様に質問を投げかけた。「カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」(14節)

ローマへの税金は、紀元6年に、アルケラオ(ヘロデ王の息子であり、ユダヤ・イドマヤ・サマリヤの領主)が解任され、ユダヤ地方がローマの直轄地となってから課せられた。そして、税を納めない者は誰でも、厳しい罰金が科せられた。ユダヤ人がローマに税を納めることを嫌ったのは、そのお金が彼らの圧政者を支え、服従を象徴したからであり、税金の多くはまた、異教徒の宮とローマの上流階級の豪華な生活様式を維持するために費やされたからであった。

パリサイ人とヘロデ党の者たちは、この税についての質問でイエス様を罠にかけたいと思ったのである。イエス様が税を肯定すればローマを支持することになり、ユダヤの人々の敵意を招き、税を否定すれば、ローマに対する反逆で告訴することができ、制裁金を科すこともできる。そして、あわよくば、逮捕されることを期待した。

15~17節: イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。

イエス様は罠にかかるまいとして、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と言ったのではないと思う。イエス様はただ理路整然として神様が制定されている権威の理解の仕方を示したのであろう。

ローマ人への手紙13章1節には、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」とあり、ローマ人への手紙13章7節には、「すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。」とある。

地上において存在している一切の権威は神様によって制定されたものであり、私たちは地上において神様が制定された権威に従うべきであると述べられている。

しかし、地上における権威は、神様から委託されている権威であり、神様の御心に沿っている限りにおいて、その権威に従うべきであるというのが聖書の教えである。神様の御心から逸れている権威に従う必要はないのである。

イエス様が言われた「カエサルのものはカエサルに」(17節)は、人は神様が委託している地上の権威に従うべきであるということを指している。

そして、「神のものは神に」返さなければならないのである。デナリ銀貨にはローマ皇帝の像と銘が刻まれていた。権力者が自分の像を刻み込んだ貨幣を発行することは、それを使用する民から税を徴収する権利があることを意味していたが、実は地上のすべてのものには神様の像が刻まれているのである。私たち人間は神様のかたちに似せられて造られた。神様の人格に似せられて造られた人間はまさしく神様の像が刻まれている存在であると言えるだろう。

地上の権威に従う例としては税金を納める等がある。では、神のものは神に返すとは何を返すのであろうか。神のもの、それは神様から預かっている命であり、すなわち、私たちに与えられている時間は神様のものであると神様に告白するのである。お金も・・。全てのものは神様から預かっているものであると神様に告白するのである。

私たちは、全てを支配しておられる権威者である神様に、そして、地上の委託されている権威に対しても、責任を果たしていくべき者であることを覚えたい。

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