「イエス様の死に際の深い苦しみ」
- 佐々木 優
- 2023年3月25日
- 読了時間: 4分
2023年3月26日(日)
テキスト:マルコの福音書15:33~41(新約聖書103頁)
(33節:さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。)
イエス様は6時間十字架につけられた。それは通常の十字架と比べて短い時間だった。イエス様は、裁判で夜通し引き回され、むち打たれ、辱めを受け、重い十字架を背負わされた(極限の体力消耗により途中からクレネ人シモンが背負う)故に通常に比べて短時間で息を引き取った。マルコ15:44には「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうか尋ねた。」とある。
(34節:そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。)
イエス様はご自身がかかる十字架刑がどのような刑であるのかを知っておられた。それは全人類の罪を負う時に神様から断絶される刑であった。イエス様はゲツセマネでの祈りにおいて、できることならばこの刑を避けて頂きたいと願った。イエス様はご自身がかかる十字架刑がどのような刑であるのかを知っておられたので、イエス様はこのことばを、驚きや絶望をもって質問したのではない。イエス様は詩篇22篇の最初の行を引用していたのである。詩篇22篇全体は、メシアがこの世の罪のために味わう、死に際の深い苦しみを表した預言である。
(35~36節:そばに立っていた人たちの何人かがこれを聞いて言った。「ほら、エリヤを呼んでいる。」すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。)
預言者エリヤを呼んでいると勘違いし、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付けて飲ませ、まだ死なないようにしたのである。
(37節:しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。)
その瞬間は、衰弱や出血によって徐々に生命力を失う通常の十字架刑による死とは異なっていた。
(38節:すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。)
神殿には、至聖所と呼ばれる部屋があり、その前には重い幕が掛けられていた。その幕は罪深い人間から聖なる神を分離することが象徴的に表されていた。至聖所には、年に一度だけ、宥めの日に、民のすべての罪が赦されるために大祭司が入り、いけにえを献げた。イエス様が死なれたこの時に、幕が真っ二つに裂けたが、それは私たちの罪のためのイエス様の死によって、っ聖なる神に近づく道が開かれたことを示している。(ヘブル人への手紙10:19,20)
(39節:イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」)
ローマの軍隊の百人隊長(この時、イエス様を処刑する責任を負っていた)は、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けるなどの出来事がイエス様の十字架刑に関連して起こっているのだと思わずにはいられなかったのであろう。そして、それよりも、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と祈るイエス様の姿に、人間を超えているものを感じたのであろう。
(40~41節:女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。)
イエス様の十字架のかたわらには敬虔な女性たちがいた。これらの女性たちはイエス様がガリラヤにおられた時からいつもイエス様に付き従っていた。こうした女性たちがいかに深くイエス様の宣教活動にかかわり、その働きを助けていたかが分かる。彼女たちは必ずしも裕福であったとは思えない。しかし彼女たちは、イエス様の働きを経済的に支えていたのである。女性たちはイエス様の十字架のもとに、イエス様と共に居続けたのである。
私たちは他人の苦しみを理解できるような者ではない。そして、イエス様の死に際の深い苦しみも本来は理解できないのである。理解はできないが理解しようとする努力をする者ではありたい。