「イエス様との出会いの原点に立ち返り」
- 佐々木 優
- 2023年4月22日
- 読了時間: 3分
2023年4月23日(日)
テキスト:ヨハネの福音書21:1~14 (新約聖書229頁)
三年半の年月、イエス様につき従っていくことを自分たちの人生としてきた弟子たちは、この時、なすべき事を見失い生きていたのではないか。
弟子たちは実際に食べる物もなかったのではないかと思われる。そして夜中の漁に出るが、一晩漁をしても何もとれず、疲れ、空腹になっていたであろう彼らのところに復活のイエス様が姿を現わす(この福音書記者が記した中で三度目の顕現)。しかし、弟子たちは、それがイエス様であることが分からなかった。マグダラのマリヤもそうであったように、復活の姿はそれ以前の姿とは違う、何か特別な姿だったのであろう。(私たちもかの日には、栄光のからだが着せられるという希望がある)
イエス様はこれまでに何度かに分けて復活の姿を現されているが、おそらく、それぞれに違う種類の教える事柄があったのではないかと考えられる。そして、この時に、教え、気付かせようとされた事柄は、弟子たちが主から与えられている使命である。特に、三度イエス様を否み、傷心にあるペテロに対しては、召しを思い出して欲しいというイエス様の強い思い入れがあったのではないか。復活されたイエス様がいると聞いたペテロが「『主だ』と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。」(7節)と記されているところに、ペテロの癒されない引きずっている心があることを物語っているように思われる。(その回復への主の御手は15節以降に記されている)
一晩漁をして何もとれなかった弟子たちに対してイエス様は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」(6節)と言われた。「そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。」(6節)とある。この光景は、漁師であった彼らに「人間を捕るようになる」(ルカ5:10)(マタイ4:19では「人間をとる漁師にしてあげよう。」)と言って、その使命に召していった光景を思い出させようとしているイエス様の働きかけがあるのではないか。
イエス様がお与えになった使命、それは、人々に福音を伝えるという使命である。復活の目撃者として、罪と死からの勝利を宣言していく使命である。そして何よりもその原点となっているのはイエス様との出会いである。愛に満ちあふれた御方との出会い。イエス様はその原点を思い出させようとされたのではないか。その喜びに立ち返った結果として、イエス様のことを伝えたいという福音宣教の思いに立ち返っていったのであろう。
私たちにも視覚を通して思い出させようとされていることがあるのかもしれない。それは、同じく、イエス様の愛を思い出させるためであるのかもしれない。
私たちの人生は常に、この原点に立ち返り営まれていくものなのではないか。イエス様はどのような御方なのか。どのような御方と私たちは出会ったのか。イエス様は私たちを愛し、十字架で命まで捨てて下さった。その愛に立ち返る時、私たちの歩みがまた一歩、弟子たちの歩みの再開のごとくに歩み出されていくのではないだろうか。