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「わたしはその人をさばきません」

  • 佐々木 優
  • 2017年10月21日
  • 読了時間: 3分

2017年10月22日(日)

テキスト:ヨハネの福音書12:44 ~50(新約聖書206頁)


〇イエス様は、天地万物を創造した神だけが唯一の神であると信じているユダヤの人々に大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。」(44、45節)「わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。・・・わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」(49、50節)イエス様は、ここにいるわたしは、あなたがたが信じている神そのものであると思ってよいと言われた。わたしが語ることばは神が語っていることばであると言われた。


〇神様はイエス様を光としてこの地上に遣わされた(「わたしは光として世に来ました。」(46節))。それは、「わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないため」(46節)。「やみの中にとどまる」とは、天の御国には行けないままになるということ。イエス様は天の御国に行けなくなる者が誰もいないようにと、天の御国へと導く光として地上に来られた。イエス・キリストが神であり、罪からの救い主であるという神様のことばを信じる者には罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)を与え、神様との愛の交わりの中で満たされて生きるものとして下さるという神様のことばは「永遠のいのち」(50節)、すなわち、神のいのちを頂くことばなのである。しかし、この神様からのことばを受け入れなくても、神様は今はさばかないと言われる(47節)。「さばく」と訳したギリシャ語の「クリネー」は、「さばく」という意味の他に、「告訴する」という意味や、「判決を下す」という意味もあることばである。今、神のいのちを頂くためのことばを拒絶しても、今は告訴はしない、判決を下さないと言われる。判決を下すのは、「終わりの日」、イエス様がもう一度この地上に来られる時である。その時の判決は、イエス・キリストが神であり、罪からの救い主であるという神様のことばを信じたか否かによって決まる。

 「わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。」(48節)

 判決内容は、「あなたは生きている間にイエス・キリストを信じなかったので、人類の先祖アダムが、自分の意志で、神様との愛の交わりの中から離れていった、その状態のままである。」ということ。最初の人間アダムは自らの意志で、自らが主人(神のようになって)となって自らの存在意義を見いだしていく道を選びとった。神様との愛の交わりの中で生きることに、自分の存在意義がある道を選び取らなかった。しかし、神様はその選択の自由さえ与えてくださっていた。人間の自由意志は、神様に似せて造られた人間のすばらしい機能だからである。ここにも、神様の深い愛がある。


〇神様は、神様のいのちを頂くためのことばを信じていない一人一人が自分の意志で神様のいのちのことばを信じ、神様との交わりを回復して欲しいと願っておられる。神様は終わりの日まで、「わたしはその人をさばきません。」「わたしはその人に判決を下さない」と言われる。

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