「やみの中を歩かないように」
- 佐々木 優
- 2017年9月30日
- 読了時間: 2分
2017年10月1日(日)
テキスト:ヨハネの福音書12:34 ~36(新約聖書205頁)
〇34節「人の子は上げられなければならない」
「人の子」ということばをユダヤの人たちが聞けば、そのことばの意味することは明白だった。それは、父なる神様から地上に遣わされて来る「メシヤ」(救い主)を表すことばだった。群衆はイエス様がご自分の死について語っているものと気付いたが、イエス様をローマ帝国の圧政から解放するメシヤであると期待し、熱狂的に迎えた群衆にとっては、そのメシヤが死ぬということは理解できなかった。彼らが聖書を通して教えられてきた(詩篇89:4、エゼキエル37:25)メシヤは、「いつまでも生きておられる」不死身のメシヤだったからである。そこで彼らはイエス様の言う人の子とはいったい誰のことかと改めて問いただした。しかし、イエス様はこの問いに直接答えずにこう言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(35~36節)イエス様はこの後、十字架で死に、復活し天に帰られ、肉眼では見えなくなる。イエス様はその前に、わたしを神(*1)であり罪からの救い主であると信じなさいと言われた。「やみがあなたがたを襲うことのないように」わたしを信じなさいと言われた。イエス様はご自分のことを「光」と表現し、イエス様を信じていない者を「やみの中を歩く者」だと言われた。「やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。」人は誰であってもどこかに向かって歩いている、どこかに向かって生きている者である。しかし、イエス様を信じていない者は、どこに行くのか分からずに生きているのだと言われる。イエス様を信じている者は、かの日に行く、天の住まいに向かって生きている。しかし、イエス様を信じていない者は自分が最終的にはどこに行くのかを分からずに生きているのである。イエス様は愛して止まない一人一人に「やみがあなたがたを襲うことのないように」「やみの中を歩かないように」わたしを信じなさいと語られたのである。
*1:神様は、イエス様を神であり、罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じる者に罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)を与え、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるものとして下さる。