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「どん底に思える状況で希望を見出すには」

  • 佐々木 優
  • 2017年7月1日
  • 読了時間: 2分

2017年7月2日(日)

テキスト:ヨハネの福音書11:25~29 (新約聖書201頁)

 

〇イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(25節)イエス様を神であり、罪(*1)からの救い主であると、今現在、信じている者は、死んでも、イエス様の再臨の時によみがえらせられる。また、その者は肉体の死は迎えても、魂は神様と共に生き続けているので死ぬという感覚はない(「また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」26節)。すなわち、今現在、イエス様を信じている者は、魂が神様と共に生きているものであり、その者は死んでも魂は神様と共に生き続け、また、イエス様の再臨の時には新しい体が与えられ、体と魂共々に神様と共に生き続けるのである。イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。」と言われたが、まさしく人間の体と魂に関する全権をもっておられるのである。イエス様は、これらのことを信じますかとマルタに問いかけ(26節)、マルタは「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」(27節)と答えた。マルタは、この後、弟ラザロが生き返らせられるということまでは信じられていないが、イエス様が旧約時代から預言されていた神から遣わされてくる、神の子、救い主であると信じていると答えたのである。


〇マルタは弟ラザロを亡くし、失意のどん底にあった。そんなマルタにイエス様は、「今現在、わたしを信じている者は、魂が神様と共に生きているものであり、その者は死んでも魂は神様と共に生き続け、また、わたしの再臨の時には新しい体が与えられ、体と魂共々に神様と共に生き続ける」ということを、今、信じていますか?と問いかけた。失意のどん底にあったマルタが希望を見出すには、今、このことを信じているのか?と自問し、応答する必要があったのである。


〇私たちの生活においても、この自問自答が希望を見出す鍵であると言える。自分の置かれている状況がどんなにかどん底に思えても・・。

 

*1 罪からの救いとは、イエス様を神であり罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じることによって、罪が赦される(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)こと。

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