「どんな状況においても神の愛が」
- 佐々木 優
- 2023年3月11日
- 読了時間: 3分
2023年3月12日(日)
テキスト:マルコの福音書15:16~21(新約聖書102頁)
(16節:兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。)
全部隊に召集をかけるほど、それほどまでに、イエス様には特別な力があるのではないかと恐れていたのであろう。
(17~20節:15:17 そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。)
ローマの兵士たちは、イエス様に王の着る服を着せ、王のしるしとしての冠(茨なので頭からは流血)をかぶらせ、自らをユダヤ人の王と名乗っている者だと嘲笑の限りを尽くした。
(21節:兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。)
十字架刑を宣告された罪人は、刑場までローマ兵士4人の真中に立たされ、その肩に十字架を担わされ、刑場まで一番長い道を通って行進させられた。その間、前方をもう1人の兵士が罪状書きを付けたプラカードを掲げて行進した。他の人々に対する見せしめとしたのである。裁判で夜通し引き回され、むち打たれ、辱めを受けたイエス様は、背負わされた十字架の重さに力尽きて、もう動くことができなくなった。そのため兵士たちは、北アフリカのクレネから、はるばる、過越の祭りを祝うためにエルサレムに来ていたシモン(使徒13:1の「ニゲルと呼ばれるシメオン」と同一人物ではないかと言われている)という名の男に無理やり十字架を背負わせた。
彼の息子のアレクサンドロとルフォスは、おそらく、初代教会でよく知られていたために、ここで触れられているのだろう(ローマ16:13)と考えられている。
無理やり十字架を背負わされたシモンは、後にクリスチャンとなり、また、彼の息子たちもクリスチャンとなったと考えられている。
本日の箇所から2つの点を覚えたい。
①あまりにも残忍な兵士たちの姿から
罪ある人間は、神様の存在を認めたくないが故に、あらゆる権力、暴力等をフル活用して神様の存在を見ないようにする。神様はそんな罪に縛られている人間をもその罪から解放させてあげたいと思っておられる。
②シモンは何故イエス様を信じるようになったのか
シモンはあまりにも無残なイエス様の姿に何を感じたのであろうか・・
あまりにも無残であるにも関わらず、愛に満ち溢れたイエス様の表情を見たのではないか・・
人は神様の愛に触れ、心を動かされていく者である。