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「どうしても知って欲しいことを伝えるために」

  • 佐々木 優
  • 2023年8月27日
  • 読了時間: 4分

2023年8月27日

テキスト:ヨナ書3:10~4:11(旧約聖書1,579頁)

 ヨナは神様がニネベを滅ぼすことを思い直されたことに怒り、そして、神様に祈りの中で言います。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。」(1~2節)

 ヨナにとってみれば、自国を襲う残忍なアッシリア帝国、そして、その首都ニネベは、神様に滅ぼしてもらいたい存在でした。しかし、神様は、ニネベの人々が悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になり、彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった(3章10節)のです。

 ヨナは、神様という御方は「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていた」と言い、そして案の定、わざわいを思い直してしまった。もう自分は「生きているより死んだほうがまし」なので、いのちを取って下さいと訴えている。なぜ、そこまでの思いに至ってしまったのだろうか・・。ヘンリー・H・ハーレイは、「ヨナは預言者であると共に有名な政治家であった」と述べていますが、有名な政治家でもあったヨナが単身でニネベに乗り込み、神様からの警告を叫んだのに、滅ぼすことを思い直した神様によって、自分の政治家としての面子が、ニネベにも、そして、自国にも丸つぶれになってしまったからだろうか・・。色々と考えられますが、それら様々な思いの中で、ニネベが滅ぼされずに済むということが死ぬほどに嫌だったのでしょう。人間には死んでも嫌だということがあるのかもしれません。

 神様はそんなヨネに、「あなたは当然のことのように怒るのか。」(4節)と、その怒りは本当に当然のことなのか?と問いかけますが、ヨナはニネベの町を一望出来る山上に仮小屋を建て、40日そこにとどまって、町がどうなるか見極めようとします。(5節)それは、ヨナが神様に訴えたことにより、神様がもう一度考えを変え、ニネベにわざわいを下してくれるのではないかという期待をもっての行動だったのではないでしょうか・・。あるいは、わざわいを下してくれるまで、私はここを動きませんというようなストライキのような行動だったのではないでしょうか・・。

 仮小屋は40日間も住むには決して快適なものでななく、猛烈な暑さをしのぐための仮小屋に灼熱の太陽が容赦なく照り付けました。仮小屋を作ったのはヨナであり、ある意味、自業自得のようにして太陽の照り付けを受けました。しかし、神様はヨナの気持ちをなだめるように、そして、落ち着いて、ヨナの怒りは当然のことなのかを考えさせるために、一本の唐胡麻(ひょうたん、あるいは、かぼちゃの類であると言われる。この植物は柔らかいつる状の茎とぶどうの葉のような大きな葉を有し、2,3日の短期間のうちに大きく生長して十分な日陰を作ることができる。しかし、茎が少し損傷しただけでも枯れてしまうひ弱な性質を持っている)を備えて下さった。しかし、ヨナの心が変わらないので、神様は一匹の虫を備え、一夜で、唐胡麻を枯れさせました。そして、ニネベが滅びることが本当に一番最善のことなのかを考えさせるために、焼けつくような東風を備え、太陽がヨナの頭に照りつくようにされました。ヨナは現在でいう熱中症のようになり、自分の死を願って、「私は生きているより死んだほうがましだ。」(8節)と言いました。

 9~11節「すると神はヨナに言われた。『この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。』ヨナは言った。『私が死ぬほど怒るのは当然のことです。』 主は言われた。『あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。』」

 神様は一夜で生え、一夜で滅びた唐胡麻の出来事は、神様ご自身がその主権の中でなさったことなのだとヨナに教えました。そして、ニネベの人々を造ったのも神様であり、命を与えたニネベの十二万以上の人々と数多くの家畜の命が滅ぶのをわたしが望むと思うのかとヨナに教えたのです。

 ヨナ書の中からは、ヨナが、「どんな人をも滅びることを望まれない神様」であることを受け止め、心を変えたかどうかは分かりません。しかし、歴史には、アッシリアの征服が一時中止され、その間に、イスラエルは失った領土を回復したことが残っています。アッシリアが一時ではあってもイスラエルへの征服行為を止めたことによって、イスラエルの領土回復につながったことで、ある意味、ヨナの預言者、政治家の面子も保たれ、それらのことを通して、ヨナは固執した自分の考え方を変えられていったかもしれません。

 


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