top of page

「そうすれば思い煩いから解放されるから」

  • 佐々木 優
  • 2023年2月5日
  • 読了時間: 2分

2023年2月5日(日)

テキスト:ピリピ人への手紙4:6~7 (新約聖書399頁)

 

 6節「何も思い煩わないで」と、パウロは述べている。神様の守りを信じているクリスチャンも思い煩う者であるということを前提として述べている。

 原文では6節の書き出しは「何事も思い煩うことをやめなさい」という命令文で始まっている。クリスチャンは思い煩いの思いが起こってきても、思い煩わなくてもよい者とされているのだから、思い煩うことをやめなさいと述べているのである。そして、思い煩わなくてもよい者とされていると述べる根拠がその後に述べられている。

 それは「あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただ」けば(6節)、「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」るからだということである(7節)。

 なぜ、思い煩って当たり前のようなあらゆる場合に、感謝をもって祈りと願いを神様にささげることができるのかと言えば、祈りと願いによって願い事を神様に知って頂ければ、そうすれば、「すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」るということを知っているからだというのです。

 「祈り」と「願い」というように分けて表現しているのは、主の祈りの冒頭が「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように」(マタイ6:9)とあるように、まず、始めに、ほめたたえられるべき御方である神様をほめたたえることが、「祈り」と「願い」の「祈り」の部分にあたるのであろう。そして、「祈り」と「願い」の「願い」は私たちの願い事である。

 「神の平安」神様が与えてくださる平安は「すべての理解を超えた」ものである。それは、賢者と思われるあらゆる人の考えがもたらす安らぎよりも、人が綿密に計画したあらゆる考えからもたらされる安らぎにもまさるものである。「神の平安」は、私たちの内におられるイエス様が、思い煩いに引き込まれそうになる私たちの心と思いを守ってくれるものである。

 そんなにすばらしい約束が与えられているのだから、思い煩いに引き込まれそうになるあらゆる場合に私たちがすべきことは、このすばらしい守りの約束が与えられていることを思い起こし、みことばを信じようとすることである。そして、そこから生まれる感謝をもって、御名をほめたたえ、願い事を神様に知って頂くことである。その時、私たちも思い煩いから解放されるという約束の真理を知るのである。

最新記事

すべて表示
「何度でもやり直しができる恵みの世界」

2025年8月10日(日) テキスト:ヨナ書1:1~17(旧約聖書1,577頁)    ヨナ書の一番大きなテーマは、「どんな人をも滅びることを望まれない神さま」であると言えます。その趣旨に沿ってヨナ書を見ていきたいと思います。  ...

 
 
「最大限の考慮をして下さるイエスさま」

2025年8月3日(日) テキスト:使徒の働き10:40~42 (新約聖書255頁)  本日も、ペテロが、コルネリウスに、私たち(コルネリウスとペテロ)に幻の中で語りかけて下さった御方、イエスさまとはこのような御方ですと伝えている箇所の続きを見て行きます。...

 
 
「最大限の考慮をして下さる愛なる神さま」

2025年7月27日(日) テキスト:ルカの福音書23:32~43 (新約聖書170頁)     ふたりの犯罪人が、イエスさまとともに十字架にかけられました。  39節には「十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、『おまえはキリストではないか。自分とおれたち...

 
 
bottom of page