「すべてをご存じである方と共に歩む」
- 佐々木 優
- 2023年5月6日
- 読了時間: 3分
2023年5月7日(日)
テキスト:ヨハネの福音書21:20~23 (新約聖書230頁)
ペテロは、イエス様の「あなたはわたしを愛していますか」との問いかけと、ペテロの「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」との控え目な応答(3度否んでしまった経験から「はい愛します」と、きっぱりと答えることができない)の3回の繰り返しの中で、イエス様の表情などから、イエス様に従っていく時に失敗は怖くないのだということを思い出していったのではないでしょうか・・。
『神さまイメージと恵みの世界』の著者、河村従彦先生はその著書の中でこう述べておられる。「神さまの恵みの世界では、失敗は怖くありません。また、致命的でもありません。赦しは無限です。再チャレンジがいつでもできます。失敗があっても、『それはそれでいいじゃないか。またいっしょにやろうよ』と、何度も何度も声をかけられます。私たちが『少し疲れました』と言えば、『そのままでいいよ。それじゃあ、しばらく立ち止まろう』と言って、いっしょに立ち止まってくださる方です。この恵みの世界の『ゆるゆる感』、なかなかいいものです。」
この時ペテロは、そんな恵みの世界を感じさせて下さっていたイエス様という御方を思い出していったのではないでしょうか・・。
18節「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
このことばは、ペテロは縛られて処刑場に連れて行かれ、十字架の上に手を伸ばすという意味であるという解釈がある。後の伝説ではそれは逆さ十字架であったとある(エウセビオス『教会史』Ⅲ:1:2-3)。ペテロが自ら逆さにつけて欲しいと頼んだと。自分は主と同じような仕方で死ぬ価値がないと述べたという説があるが、ペテロは18節のことばを聞いた時、イエス様が自分の死に方を予告したとは思わなかったかもしれないが、自分にとってあまり快くなく思える将来のように聞こえたかもしれない。そのような自分の将来を聞いた時、弟子仲間のヨハネの将来はどうなるのかが気になった。そんなペテロにイエス様は言われる。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(22節)イエス様でさえもいつ世の終わりがあるのかは知らなかった(マタイ24:36)が、ご自分が再臨する時に、ヨハネが生きていれば、それは大変に喜ばしいことであったし、そうあって欲しいと思っておられた。しかし、そのヨハネの将来と、ペテロがイエス様に従うこととは何のかかわりもないのだと言われる。ヨハネにはヨハネにふさわしい、ペテロにはペテロにふさわしい、神様への従い方があるのだから、他人と神様との関係や、自分と神様との関係の比較はやめて、あなたは、わたしに従いなさいとイエス様は言われる。
「あなたはわたしを愛していますか」の3回の問答の3回目で、ペテロは「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」(17節)と言った。私たちも、私たちにふさわしい神様への従い方をしている人生において、私のすべてをご存じで、私の神様への愛の程度も知っておられる神様が共に歩んで下さっているということを忘れずに従っていきたい。