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「すべては神様の恵みであると認めて生きる」

  • 佐々木 優
  • 2023年11月25日
  • 読了時間: 3分

2023年11月26日(日)

テキスト:伝道者の書2:18~26(旧約聖書1,140頁)

 

 18節「私は、日の下で骨折った一切の労苦を憎んだ。跡を継ぐ者のために、それを残さなければならないからである。」ソロモンは、後継者のことに思いを向けた結果、これまでの人生において自分が骨折ったいっさいの労苦を憎んだとある。21節には「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分が受けた分を譲らなければならないからだ。これもまた空しく、大いに悪しきことだ。」とある。

 そしてソロモンが日の下で骨折った労苦で築き上げた豊かさは子どもたちを幸せにはしなかった。

 ソロモンが死ぬと、その子レハブアムが王となり、莫大な遺産を受け継ぐが、レハブアムは、ソロモンの晩年の圧政に不満を抱く人々への対応に思慮を欠く言動を取り、その結果、ヤロブアムを王とする10部族の分離独立を許してしまうという歴史がある。レハブアムはソロモンの死後に王となるが、ソロモン王の晩年に、後継者問題があがる度に、子どものレハブアムの名前があがっていたのであろう。レハブアムは「何の労苦もしなかった」だけにとどまらず、人間性にも(Ⅱ歴代誌10:1~14参照)疑問を感じる人物であり、後継者問題が出る度に、ソロモンは自分の生涯を空しく思い、絶望感まで抱いたのであろう。

 ソロモンは、22、23節で「実に、日の下で骨折った一切の労苦と思い煩いは、人にとって何なのだろう。その一生の間、その営みには悲痛と苛立ちがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」と述べている。

 高橋秀典師は、人は、苦しみに意味があると思うことで、苦しみに耐える力が湧いてくるはずなのに、ここでは、苦しむことや心の葛藤を抱くこと自体にも意味はないとソロモンは述べているとしている。(『正しすぎてはならない』伝道者の書の翻訳と解説、42頁)しかし、絶望感まで抱く後継者問題に思いを馳せていった結果、ソロモンは1つの真理が分かったと述べている。

 24節「人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かった。」高橋秀典師は、労苦から生まれる結果に期待するのではなく、労苦のただ中に喜びを見い出すことこそ神様の御業であり、何かに向かって心を燃やしていること自体の中に魂の満足が生まれるのであると述べている。

 25節「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。」神様がいのちを守ってくださるのでなければ、誰も「食べたり飲んだり」はできないのだと述べている。

 26節「なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。これもまた空しく、風を追うようなものだ。」

 神様の存在を抜きにして生きている者は、あくせく働き財産を蓄えても、それを自分で楽しむことができず、それを、神様は、「ご自分が良しとする人」に与えてしまわれるのだと述べている。ここに記されている神様の「良しとする人」とは、富も知恵も、自分で獲得したものではなく、神様の恵みであると謙遜に認める人のことである。

 自分の生涯に対する空しさ、絶望感から解放される術は、すべては神様の恵みであると認めて生きるということである。

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