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「して下さらないだろうと決めつけて・・」

  • 佐々木 優
  • 2017年6月17日
  • 読了時間: 2分

2017年6月18日(日)

テキスト:ヨハネの福音書11:17~24 (新約聖書201頁)

 

○マルタとマリヤという姉妹とその兄弟ラザロの三人は早くに両親を亡くしたようで、年長と思われるマルタが何かにつけ母親の役割を果たし、三人は強い兄弟愛で結ばれていたであろうと考えられる。ラザロは末の弟であったと一般に考えられているが、その弟が瀕死の状態に置かれ、何としてでも助けたいとの思いから、姉妹たちはイエス様のところに使いの者を送った。しかし、その切なる願いはかなわず、ラザロは死んでしまう。イエス様がこの一家のところに到着した時にマルタから出た第一声、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(21節)このことばから、イエス様が何故かけつけてくれなかったのかという、マルタのやりきれない思いがあったことがうかがえる。22節「今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」マルタは、イエス様が居てくれたらラザロは死なずに済んだのにと再度語る。そんなマルタにイエス様は言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」(23節)そのことばを聞いたマルタは、イエス様のことばをパリサイ人たちが形式的に信じている終わりの日に起こる復活のことであると理解し、「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」(24節)と、そのような信条には自分も同意していると述べるが、ラザロが今、生き返るということは思い浮かびもしないのである。


〇マルタは、イエス様はどんなことでもできると信じていた。しかし、死んだ人を今、生き返らせるということはしないと決めつけていたのである。しかし、死んだ人が今、生き返るなどということを思いもしないというのが普通であろう。マルタはその当たり前の反応をしたのである。しかし、イエス様は、死んだラザロを生き返らせるのである。


〇私たちも、神様に対して、こんなことは、さすがにして下さらないだろうと決めつけていることがあるかもしれない。死んだ人が生き返るという出来事はこの後、イエス様の復活、使徒の働き(9章36~42節、20章7~11節)以降は起こっていないので、さすがに神様が死んだ人をすぐに生き返らせるということはなさらないと思われるので、そのことは省くとしても、私たちは、神様に対して、こんなことは、さすがにして下さらないだろうと決めつけていることがあるかもしれないということを考えていきたい。

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