「いこいのみぎわと感じることができるのは」
- 佐々木 優
- 2024年1月6日
- 読了時間: 3分
2024年1月7日(日)
テキスト:詩篇23篇1~6 (旧約聖書954頁)
2節「主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。」
緑の牧場は、ただ偶然にできるのではなく、羊飼いの途方もないほどの労働と時間、そして、土地利用の技術の結果としてできていくものであったのと同様に、「いこいのみぎわ」もただ偶然にできるものではなかった。
○羊のような動物の体は、平均70%ほどは水でできている。この液体が正常な体の新陳代謝を維持するために用いられる。水は羊の生命力、活力を決定し、その健康と全般的なよい生活状態を保つのに欠かすことができない。
○羊は、習性として、ちょうど夜明け前に起きて、草を食べ始める。その草は露でぬれ、露はきれいな、澄んだ、清潔な水の供給源である。勤勉な管理者である良い羊飼いは、その羊が外に出てこの露でぬれた草を食べることができるようにする。
○最も良い水飲み場がどこにあるのかを知っているのは、良い管理者である羊飼いである。羊飼いは、羊が水を飲む時も、流れに脅えないように静かな水際へ連れて行く。
○羊飼いは、非常な努力と苦心をして、水を飲ませる場所を準備しておき、そして、その場所に羊を連れていく。羊は、のどが渇くと、そわそわし始め、澄んだ水を飲める場所に導かれないと、汚れた水たまりから水を飲むことになり、そこから、病原菌を取り込んでしまう。
○時には、井戸から水を飲ませるのが最善な場合がある。深い井戸では、羊飼いは、はだかになって、群れの渇きをいやすために、水をくみあげる。それはつらい、熱い、重労働であった。
○羊たちが、静かな水のほとりで渇きをいやせるのは、羊飼いの、努力によってなされている。
○羊飼いだけが、静かな、落ち着いた、深い、きれいな、澄んだ水、羊を満足させ、快適に、丈夫にしておくことができる水がどこにあるのかを知っている。
○羊飼いは、昼は太陽に照りつけられ、夜は露にぬれて、羊と共に暮らす。(群れについていけない羊がいれば、胸に抱いて連れていく)危険に直面したら、自分の命を投げ出す覚悟でいる。
詩篇23篇は老年になったダビデが回顧した詩であると考えられる。
ダビデは、ダビデの先の王、サウル王から命をねらわれ逃亡生活をした。また、自分の子であるアブサロムの軍隊に何度も何度も追われ、苦しみ、ひどい欠乏感も味わった。喉が渇き命の危機を覚えたことも思い出したのではないか・・・。
水は命を生かすと共に死の源にもなる。古代の中近東ではノアの箱舟のような神話がいくつも出来上がったと考えられている。
しかし、ユダヤの民は詩篇23篇を愛し、「いこいのみぎわ」と感じることができるようになった。そこには、神様がこれからは二度と水で滅ぼすようなことはしない、これからは恵みだけでやっていくという恵みの約束への信仰があったからであろうと河村従彦師は述べておられる。そしてその後、その約束は、ご自分にだけ履行義務があるアブラハムとの片務契約(不平等契約)へと向かっていった。
私たちが生きていて、「いこいのみぎわ」と感じることができるのも、この契約の中に生かされている故である。
ローマ人への手紙3:22~24「すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
神様だけに履行義務があるとし、イエス・キリストは一方的に、私たちの罪の身代わりとなり十字架で命を捨てて下さった。この片務契約の中にあって、「いこいのみぎわ」と感じることができるのである。