top of page

「あなたは、このことを信じますか」

  • 佐々木 優
  • 2024年3月17日
  • 読了時間: 3分

2024年3月17日(日)

イエスさまは、死んだラザロを墓の中から生き返らせました。

 45節には「マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。」とありますが、しかし、「何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えた。」(46節)とあり、神さまからの恵みを受け取った者と、恵みの受け取りを拒否した者たちがいたことが記されています。恵みの受け取りを拒否した者の代表格は当時のパリサイ人、律法学者たちです。

 河村従彦師は律法を誤解していった3段階があるのだと述べておられます。

 段階A:愛と信頼に基づく神さまの自己開示だという受け止め

 これが本来の姿です。ここから人格対人格の温かい関係が始まって行きます。

 段階B:律法を守れば神さまは自分を受け入れてくれるという間違った思い込み

 真面目さが作用すると皮肉なことにこの考えにはまっていきます。

 段階C:律法を守ればいいという開き直り

 律法の文言だけが一人歩きしまして、基準をクリアするために守っていればいいのだろう   と、そして抜け穴を考え出したりします。

 イエスさまがおっしゃりたかったことはおそらくこういうことです。本来律法は段階Aだったけれども段階BやCに行くと恵みを受けにくくなるのでもう一度、段階Aであることを確認したい。

 神の国に入るためには律法学者、パリサイ人の義ではなく、律法学者、パリサイ人の義、以上のもの、段階Aに戻る方が楽なのだということです。

 先週、河村従彦師が述べておられるこの言葉も引用させて頂きました。「神さまはご自身の恵みを要りませんと思っている人に強引に恵みを注いだりはしません。それでは、神さまは人間を尊厳ある存在として尊重していないことになります。」

 なぜ、当時の宗教家たちは、ラザロの復活の出来事(神さまからの恵み)を受け取れなかったのだろうか・・。それは、律法の誤段階のB、そしてCまで進んでしまっていて、恵みを受けにくくなっていたからではないでしょうか・・。パリサイ人、律法学者たちは、律法を守れば神さまから受け入れられると思い込み、宗教的義務を果たしたりして、なんとか神さまに受け入れてもらおうと頑張りました。しかし、人は外のかたちを見、神さまは心をご覧になるという神さまの世界にあって、神さまの基準に到達することは不可能なのです。神さまの国に入るにはただ神さまの恵み以外には道はないのです。

 26節「また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

 人間が死ぬということは、肉体と魂との分離ですが、生きていてイエスさまを神であり、罪(神さまの愛を知らずに的を外して生きていること)からの救い主であると信じて(信じるとは、神さまが恵みを注いで下さっていることに気づき、そのオファーを受け取ること)いる人は、肉体の死を迎えても、魂は神さまと共に生き続けるということをイエスさまは約束されました。また、イエスさまの再臨の時には新しい体が与えられ、体と魂共々に神さまと共に生き続けることを約束しています。

最新記事

すべて表示
「あなたにはわたしの傍にいてほしい」

2025年11月23日(日) テキスト:創世記3:1~13 (旧約聖書4頁)  本日の箇所には、人間の先祖アダムがサタンの誘惑に合い、自分の自由意志を用いて、いのちの木の実に手を出し、神さまとの距離ができたことが記されています。聖書が示す罪とは、その後、アダムとエバの長男カインが弟アベルを殺してしまった (創世記3章~4章16節) ことによって物理的に「罪」というものが人間に入ったということではな

 
 
「教会はイエスさまのものだから」

2025年11月16日(日) テキスト:使徒の働き12:24~25 (新約聖書259頁) (24節:神のことばはますます盛んになり、広まっていった。)  このことばは、ヘロデ・アグリッパ王による激しい教会迫害があったにもかかわらず神さまのことばはますます盛んになり、広まっていったということを示している。それは神さまがなさっておられるからです。ヘロデ・アグリッパ王のことも愛しておられる神さまの股裂き

 
 
「愛のゆえに力を制限される神さま」

2025年11月9日(日) テキスト:使徒の働き12:1~23 (新約聖書257頁) 1~4節  アンティオキア教会がエルサレム教会へ救援物資を集めていた頃、紀元44年の過越の祭りの頃、ヘロデ王(アグリッパ1世、イエスさま誕生の時の支配者だったヘロデ大王の孫、ローマ皇帝カリギュラと親交があった)は、ヘロデ王家が混血であったため、保守的なユダヤ人たちの歓心を買おうとし、異邦人との交流を深めていたエル

 
 
bottom of page