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「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」

  • 佐々木 優
  • 2022年9月17日
  • 読了時間: 3分

2022年9月18日(日)

テキスト:マルコの福音書12:35~37 (新約聖書94頁)


 35節:イエスは宮で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。

 律法学者たちは、メシヤはダビデの子孫から生まれると民衆に教えていた。当時のユダヤはローマ帝国に支配されており、そのローマからユダヤを解放するメシヤが現れることを民衆は待望していた。当時のユダヤ人で、ダビデの家系の子孫からメシヤが現れるということを疑う者はいなかった。ダビデの子孫からメシヤが生まれるとの預言は旧約聖書のイザヤ書9:6~7、エレミヤ書33:14~18等に記されている。彼らが描いていたダビデの子メシヤは、無敵の王であり、世界征服をなす者であり、物質的繁栄を民にもたらす者であった。

マタイの福音書やルカの福音書にあるイエス・キリストの系図をたどると、イエス・キリストは実際にダビデの子孫であることが分かる。イエス・キリストは旧約聖書の預言の通りに、ダビデの子孫として来られたメシヤだった。

律法学者たちは、旧約聖書の預言のメシヤをダビデの子孫から生まれて来る人間としか理解していなかった。そしてそれを教えられていた民衆に対してイエス様は詩篇110篇1節を引用して語られた。

36節:ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』

「私の主」ということばは、ここで話しているダビデよりも高い地位にいる者を意味し、「わたしの右の座に着いて」神様の右の座に着くとは、神様の力と威光とを行使することを表す。イエス様は、ダビデはキリストは神であることを預言したと述べたのである。

37節:ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。

 イエス様は人としての家系によればダビデの子である(マタイの福音書1:1、ローマ人への手紙1:3)が、同時に、神でありメシヤ(救い主)であるということが本日の箇所でも述べられている。

 神であるイエス・キリストは人間の姿をとり、地上に来てくださり、人間の罪の刑罰を身に受け、死に、よみがえられた。そして、キリストの死は自分の罪の刑罰の身代わりであり、復活は、罪の赦しと永遠の命の保証であると信じる者に、罪の赦しと永遠の命を与えるメシヤであった。

 当時のユダヤ人は地上的な無敵の王、物質的繁栄をもたらすメシヤが自分たちには必要であると待望していた。

 イエス様は地上におられた時、弟子たちに問いかけられた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(マルコ8:29)

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