「赦しを確信し立ち直っていくペテロ」
- 佐々木 優
- 2022年5月21日
- 読了時間: 3分
2022年5月22日(日)
テキスト:ヨハネの福音書21:15~17 (新約聖書230頁)
イエス様はペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」(15節)と問いかける。「この人たちが愛する以上に」と言われたのは、以前にペテロが語った言葉を思い出させるためであろう。マタイ:26:31~35にこう記されている。
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。
ペテロは「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」と言った。ルカの福音書では、このペテロの言葉が語られる前に、弟子たちの間で誰が一番偉いだろうかという議論が起こっていたとある(ルカ22:24)。イエス様が十字架にかかるためにエルサレムに向かっていく時、弟子たちのほとんどは、イエス様が武力や奇跡の業によってローマの国を打ち破るのではないか、そして、ユダヤの王の位に就くのではないかと考えていたのであろう。そしてその時には、誰が右大臣左大臣に就くのかということが最大の関心事だったのである。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」とは、私は腰抜けのような弟子ではありませんという自分のアピールであり、だから私をあなたの右大臣にお願いしますという言葉だったのであろう。
イエス様の「あなたはわたしを愛していますか」との問いかけと、ペテロの「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」との控え目な応答(3度否んでしまった経験から「はい愛します」と、きっぱりと答えることができない)が3回繰り返される。
ペテロはイエス様に三度問いかけられたことで「心を痛め」るが(17節)、イエス様は三度問いかけるという3回という回数によって、三度イエス様を知らないと否認してしまった、できれば忘れてしまいたい過去の出来事をあえて思い出させているのであろう。それは、三度否んだことはもう赦されているのだというメッセージだったのであろう。この時のペテロには、イエス様は赦して下さっているという確信が必要だったのである。
ルカ22:31~32にはこう記されている。「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
イエス様はペテロが三度否認することも、そして、イエス様を3度否認することによって自分に嫌気がさし、傷つき、気落ちするが、しかし、立ち直ることを知っておられた。
イエス様は、赦されたことを確信したペテロが、今度は、赦しの神様を語っていくことも知っておられ、「わたしの子羊を飼いなさい。」「わたしの羊を牧しなさい。」「わたしの羊を飼いなさい。」とペテロに語られたのである。
私たちも、全てをご存知である神様であるのに、隠していたいような思いになる罪があるかもしれない。神様は、私たちにその罪を思い出させようとされる。それは、神様の赦しを確信させるため、そして、赦された者として、赦しの神様を伝えていくためである。