「どうしても伝えたい時には神の方から」
- 佐々木 優
- 6月15日
- 読了時間: 4分
2025年6月15(日)
テキスト:使徒の働き10:1~8 (新約聖書253頁)
聖書は神さまが私たち人間のために何をして下さったか、何をして下さる御方なのかが記されている書物です。神さまが神さまの働きを遂行するために私たち人間に奉仕をさせるというイメージではなく、神さまの側に何がしかのニーズがあって、そのために私たち人間にオファーをされることがあるということです。
本日の聖書箇所には、カイサリアにいたコルネリウスというイタリア隊という部隊の百人隊長に神さまからのオファーがあったことが記されています。
カイサリアはヤッファから約50キロ北に位置する港町で、ユダヤにおけるローマ総督の滞在地であり、ユダヤを統治するためのローマ帝国の首都でした。カイサリアは異邦人の町であったが、ユダヤ人も多く住んでいました。コルネリウスはそこに駐屯するイタリア隊(全員がイタリア出身)の百人隊長(兵士100人の指揮官)だった。百人隊長は兵士から昇進して百人隊長になるが、通常は15年以上の実績が必要であり、一般の兵士の15倍の給料をもらっていたと言われています。好戦的でなく、冷静な判断ができるが、攻撃された場合は断固戦う精神を持ち合わせているような人物がその職責を担っていたそうです。
「彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた」(2節)
コルネリウスは、神を恐れる異邦人で、正式に割礼を受けてユダヤ教に加入してはいないが、家族全員(コルネリウスが結婚していたかは不明)が同じ信仰を持っていた。彼は神に頼り、ユダヤ教の祈りの時間を守り、ユダヤ人に対して多くの施しをしていた(ユダヤ人がする施しの習慣のように)。
3節「ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、『コルネリウス』」と呼びかけた。」
コルネリウスが素晴らしい人格者であり、また、信仰者であることが記されているが、そうであるから御使いの呼びかけが分かったということを示しているのではない。神さまがどうしても伝えたいことがある時には神さまの側から分かるようにして下さるということを聖書は示しているからです。
神さまはこの時、どうしてもコルネリウスに頼みたいことがあったのである。それはこの後、コルネリウスとペテロの出会いによって、コルネリウスがイエスさまを信じ、そのことによってイエスさまを信じる人々が異邦人にも起こって欲しいという神さまの側からのニーズがあったからであろう・・。
御使いはコルネリウスに「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています」(4節)と伝えます。コルネリウスは自分はユダヤ人ではなく異邦人だが神さまに受け入れられているのだろうか・・という思いがあったのかもしれません。しかし、神さまは御使いを通して、神さまはコルネリウスの存在そのものを愛しているということを真っ先に伝えたのだろう・・。そして、コルネリウスがイエスさまを信じるということで異邦人もイエスさまを信じるということに繋がるから(コルネリウスにはそれほどの影響力がある)、たくさんの異邦人が神さまからの祝福をたくさん受けてもらいたいから神さまがコルネリウスにお願いをしているのです。異邦人にも祝福を与えたいという神さまの側のニーズがあり、そのために神さまの側からコルネリウスに分かるように伝えているのです。
コルネリウスが祈るという宗教行為をかかさずに行っていたから恵みに与かったのではありません。今日で言えば、集会出席、祈り、ディボーション、奉仕、これらは、恵みを頂くために必ずやらなければならない必須要件ではないのです。人間は心の深いところで、人間が何かをやらなければ恵みに与かることはできないと思ってしまうものではないでしょうか・・。しかし、聖書が示す方向はまったく逆なのです。人間が頑張って何かをやっていく延長線上に神さまの恵みがあるのではないのです。向こうからやってくる世界なのです。神さまが人間を祝福したいから神さまから恵みが注がれるという方向性なのです。