「すべての人を愛しておられる神さま」
- 佐々木 優
- 10月12日
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2025年10月12(日)
テキスト:使徒の働き10:44~48 (新約聖書255頁)
ペテロはコルネリウスに、私たち(コルネリウスとペテロ)に幻の中で語りかけて下さった御方、イエスさまとはこのような御方ですと伝えて行きました。
「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(43節)コルネリウスと集まった異邦人たちは、ペテロが伝えるイエスさまこそ、「すべての人の主です」(10:36)ということに小さな勇気を持ったのでしょう・・(信仰は、かけてみる小さな勇気)。その時に「聖霊が下った」(44節)のです。その時、神さまと霊的に離れていたことの解消および行為罪の赦し(43節)、「恥」「咎」「存在の恥」がまるごと赦され、受容されたのです。
「聖霊が下った」のは、ペテロのメッセージの途中でした。恵みは神さまの側から一方的に注がれるものだからです(神さまが私たちを愛していて恵みを注ぎたいから)。
そしてこの時に聖霊は、「みことばを聞いていたすべての人々」(44節)すなわち異邦人に下りました。それは、ユダヤ人と異邦人を隔てていた壁が聖霊によって取り払われたことを示しています。
45節「 割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。」
ペテロたちは、「彼らが異言を語り、神を賛美する」(46節)という、ペンテコステの時に自分たちが経験したものが異邦人にも同じようにして与えられることを目の当たりにして驚いたのです。
神さまはこの時、異邦人もユダヤ人もすべての人がイエスさまに対する信仰、かけてみる小さな勇気で、罪赦され、神の家族(教会)に加えられることを目に見える形で証明して下さったのです。明白な証拠を見せられたペテロは即座にコルネリウスたちにバプテスマを受けさせました(47,48節)。水のバプテスマはイエスさまを信じた人が罪赦され、神の家族(教会)に加えられたことを公に示す外的な宗教行為です。
コルネリウスたち異邦人も神の家族に加えられたことはユダヤ人にとってはあまりにも大きな出来事でした。それは、神さまがすべての人(国籍、文化、社会的立場、過去の経歴等に関係なく)を愛しておられることをはっきりと見せて下さった出来事だったのです。