top of page

「素の自分を受け止めて」

  • 佐々木 優
  • 2025年5月18日
  • 読了時間: 4分

2025年5月18日(日)

先週は、イエスさまを三度知らないと否認してしまったペテロに対して静かに寄り添って下さったイエスさまがペテロに、「あなたは今も私の仲間だ。あなたには私といっしょにいてほしい。」(「従う」ということばの意味に「~の仲間である」という意味も含まれている)とこのように言われたのではないか・・ということを覚えました。

 そのようなイエスさまとペテロの温かいやりとりの中でもペテロが気になったことばがあったように思います。それは、21章の18節「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」ということばです。自分が望まないところに連れて行かれる可能性がある。そして将来的には殉教の可能性を否定できないというイエスさまのことばです。

 それでペテロは後ろをついて来る弟子(ヨハネだと思います)を見て咄嗟に言います。「主よ、この人はどうなのですか」(21節)

 ヨハネは自分はイエスさまからアガパオー、無条件の愛を頂いたというふうに思っていたようです(ヨハネ13:23「弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。」ここの「愛しておられた」はアガパオーが使われている)。ペテロはヨハネと同じようにイエスさまから無条件の愛を頂いていたと思えていただろうか・・。

 ペテロはヨハネのことが気になっていたようです。イエスさまが自分よりもヨハネを愛していたのではないかと思っていたので、自分は将来、望まないところに連れて行かれる可能性を示唆されたけれど、ヨハネにはそのような将来はなく安泰なのかという思いがよぎったのだと思います。

 イエスさまはペテロに言われます。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(22節)一般的にはこのようなニュアンスでこのことばを捉えてきたかもしれません。「人は人、自分は自分。イエスさまに従うのはそういう割り切る強さが必要だ」と・・。しかし、ペテロに静かに寄り添って下さったイエスさまが、「人はどうでもいい。あなたが従えばいいのだ」と言われるはずがありません。

 「あなたに何の関わりがありますか」と言われたニュアンス、意味を理解するのに参考となる箇所があります。ヨハネ2:4です。

2:4 すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」

「あなたはわたしと何の関係がありますか?」一見突き放しているように見えますが、元々の文章をそのまま英語に置き換えると「What to me and to you」となるそうです。それは、「私にとって、あなたにとって何ですか?」となるそうです。まず私にとってとイエスさまは聞かれます。そして次にあなたにとってと問いかけられます。このニュアンスから、大した事ないよ、大丈夫だよというそういう意味があったのではないかという解説もあるようです。

 そして21章22節の表現は似ています。「あなたに何の関わりがありますか?」原文をそのまま英語に置き換えると「What to you」となるそうです。あなたにとって何ですか?このニュアンスが妥当だとすると、イエスさまが言われたのはこれぐらいの意味かと考えられます。あなたはヨハネのことが気になったかもしれない。私がヨハネをどう見たかが気になったかもしれない。もしそうならば、そのことはあなたにとって何なのでしょうか?人のことは放っておいて、私に従ってくれればいいというそういう意味ではなく、ペテロに優しく寄り添って、自分の気持ちのそのままでいいんだよ、向き合ってみようよという意味がそこに込められていたのではないか・・。

 他の人が気になる・・これは人間の性で、そういうものなのだから・・それをまずはそのまま受け止めませんか・・とイエスさまは言われたのではないか・・。

 それでも人との比較は要らないのですよと・・イエスさまは分け隔てなくすべての人を愛しているのだから・・。今のそのままの自分でいいのですよと・・。それをそのまま受け止めていきませんかと・・。愛が足りない自分も自分(将来はアガパオーの愛に近づいていくのだと目指したりしなくてもいい)、ヨハネに葛藤した自分も自分、自分をデカく見せようとする必要もない・・。自分を見てどれだけ足りない自分と感じても、今の正直な自分の姿、それで十分なのだということです。それは、イエスさまがそのように私たち一人一人を受け止めていて下さるからです。


最新記事

すべて表示
「そのままでいいよを伝えるために」

2026年2月15日(日) テキスト:ルカの福音書4:38~44 (新約聖書117頁)   イエスさまが地上におられた時の活動の目的は 「神の国の福音を宣べ伝える」(44節) ためであったと言えるでしょう。神の国とは、一人一人の存在と尊厳がそのまま認められ、温かい寄り添いがされる場です。そしてそれを引き継いでいるのが教会です。  イエスさまは失敗や罪を責めることもなく (ヨハネ8章の姦淫の現場を押

 
 
「イエスさまが守って下さっているーサタンの活動はほとんど意識しないー」

2026年2月8日(日) テキスト:ルカの福音書4:31~37 (新約聖書116頁)   (4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。) ナザレ(標高360m)からカペナウム(標高マイナス200m)までは下りである。カペナウムは、ガリラヤの町である。漁業の町で、ペテロとアンデレのホームタウンである。 (4:32 人々はその教えに驚いた。その

 
 
「苦難の前には神さまからの力づけがある」

2026年2月1日(日) テキスト:ルカの福音書4:20~30 (新約聖書116頁)   (4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。) 故郷に凱旋したイエスさまが故郷の自分たちに何を語ってくれるのかと大きな期待を持っていたのでしょう。 (4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現

 
 
bottom of page