「神さまにやっていただく意識の深まり」
- 佐々木 優
- 4 日前
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2025年8月31日(日)
テキスト:ヨナ書1:3、4:1~3(旧約聖書1,579頁)
ヨナは神さまがニネベを滅ぼすことを思い直されたことに怒り、そして、神さまに祈りの中で言います。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。」(1~2節)
ヨナにとってみれば、自国を襲う残忍なアッシリア帝国、そして、その首都ニネベは、神さまに滅ぼしてもらいたい存在でした。しかし、神さまは、ニネベの人々が悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になり、彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった(3章10節)のです。
ヨナは、神さまという御方は「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていた」と言い、そして案の定、わざわいを思い直してしまった。もう自分は「生きているより死んだほうがまし」なので、いのちを取って下さいと訴えている。なぜ、そこまでの思いに至ってしまったのだろうか・・。ヘンリー・H・ハーレイは、「ヨナは預言者であると共に有名な政治家であった」と述べていますが、有名な政治家でもあったヨナが単身でニネベに乗り込み、「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」と叫んだのに、滅ぼすことを思い直した神さまによって、自分の政治家としての面子が、ニネベにも、そして、自国にも丸つぶれになってしまったからだろうか・・。色々と考えられますが、それら様々な思いの中で、ニネベが滅ぼされずに済むということが死ぬほどに嫌だったのでしょう。人間には、こんなことをするぐらいなら死んだほうがまだましだと本気で思えることがあるのかもしれません。
ヨナの内面のことを思うと、1章も4章もあまり変わってはいません。ユダヤ人にとっての外国人への思いは堅固で簡単に変わるような事柄ではありませんでした。ヨナはニネベへの宣教の奉仕に従ったにもかかわらず、そしてその宣教が奇跡のように受け入れられたにもかかわらず、心のあり方は変わりませんでした。内面は偽ることができませんでした。意志でコントロールすることもできませんでした。
ヨナはニネベへの宣教奉仕から逃げて・・大魚の腹の中で守られて・・そしてニネベでの宣教を頑張って・・そしてへこんで・・それでも神さまは変わらなかった。言うなれば、やっていただくだけの、「お世話になりっぱなしの人生」でした。
神さまはヨナ書を通して「神さまにやっていただく意識の深まり」の大切さを教えて下さっているのかもしれません。
ヨナは従ったにもかかわらず、基本的に内面には変化がありませんでしたが、素直な気持ちを神さまにぶつけることができるようになっていったのかもしれません。ヨナの信仰の表現は「従うこと」から「正直であること」に変化していったのかもしれません。