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「どんな時でもあなたは私の仲間」

  • 佐々木 優
  • 5月11日
  • 読了時間: 4分

2025年5月11日(日)

テキスト:ヨハネの福音書21:17~18、22(新約聖書230頁)


 イースター関連でヨハネの福音書を見てきました。マグダラのマリア、トマスの方がイエスさまを探していた時には復活されたイエスさまに気付きませんでした。これは、イエスさまとの出会いは、人間が求めるから出会えるのではなく、イエスさまの方から出会って下さるという方向性を表しています。方向はいつでもイエスさまの方から人間にという方向が聖書の示す方向性です。イエスさまが人に恵みを与えたいから恵みが注がれるということです。私たち人間が求めるから恵みが注がれるのではありません。人間の側に何かふさわしいことがあるから注がれるのでもありません。イエスさまはなぜ恵みを注ぎたいと思われるのでしょうか・・。トマスのケースであれば、トマスに平安な心でいてほしい・・恐れではなく安心してほしいというイエスさまの側からのニーズがあったのであろう・・ということを覚えました。 

 先週は、イエスさまを三度知らないと否認してしまったペテロが回復に向かっていく場面を見ました。

 イエスさまは「アガパオー」大切にしてくれていましたかと問いかけ、それに対してペテロが「フィレオー」心に掛けていましたと精一杯答えました。そして三回目は心に掛けてくれていましたかとペテロに寄り添って問い直しました。そこにイエスさまの温かさ、優しさが滲み出ていました。イエスさまはペテロに完璧なものを求めてなどいなかった。失敗したペテロに温かかった。失敗した時だからこそ温かかったというイエスさまの姿が描かれていました。

 しかし、その温かなイエスさまのお姿から、22節「わたしに従いなさい」ということばを聞くと、ペテロを立ち直らせたら、早速次は「従いなさい」と従うことを求めるのが神さまだと思ってしまうのではないでしょうか・・。

 従うという日本語が当てられている元々のことばは、新約聖書全体で90回ぐらい出てくるということです。そして、日本語はほとんど、「ついて行く」とか「従う」という訳がつけられていますが、このことばの意味は、「先に行く人のあとをついて行く」「お供する」「同行する」「付き添う」「同伴する」と、皆、似たような意味ですが、もう一つ、「~の仲間である」こんな意味も含まれているようです。それで、ペテロが回復されたこの21章の文脈、これを大切にすると、「従いなさい」よりも、「~の仲間である」の方がイエスさまの気持ちを表現できているように思え、文脈的にも合っていると思います。

 イエスさまはペテロの欠けを指摘し、従えなかったことを指摘し、鍛えなおすようなことをしたかったのではなく、「あなたは今も私の仲間だ。あなたには私といっしょにいてほしい。」とおっしゃりたかったのではないでしょうか・・。

 ペテロは自分がやらかしたことの意味を痛いぐらい分かっていたはずです。自分かわいさに嘘を言ってしまった。あの極限状態で本当のことは言えなかった。そしてそのペテロの気持ちはイエスさまも痛感しておられたと思います。イエスさまはペテロにも他の弟子たちにも、大変なことに巻き込んでしまい申し訳ないと思っておられたのではないでしょうか・・。

 福音書時代のペテロは、ええかっこしい、生きがり、実態に嘘をついて盛る。そのようにして生きぬいていくのがこの世界だと思っているとすると、一旦失敗したものは落伍者という烙印を押される・・。そしてこう思ったと思います。「自分はもうイエスさまの仲間ではない。」と・・。しかしイエスさまはそういうペテロを必要とされました。

 イエスさまの仲間に復帰したとします。しかしその行先は安泰ではありませんでした。

21章の18節「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」自分が望まないところに連れて行かれる可能性がある。そして将来的には殉教の可能性を否定できないというイエスさまのおことばだったと思います。しかし、復活されたイエスさまは肉体を持った人として、先生弟子とかそういう関わりではなくて、心の内に住んでくださるのです。もっと近く、私たちに寄り添っていてくださる。そういう時代が既に来ているのです。そして、ただ親密な時代が来ているだけではなくて、イエスさまはトマスを必要とされました。トマスに奉仕をさせるためではありません。そして、ペテロも必要とされ、「あなたは今も私の仲間だ。あなたには私といっしょにいてほしい。」と言われるのです。イエスさまの方にニーズがあって、それは、「私といっしょにいてほしい」なのです。


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