「あなたは間違っていない」
- 佐々木 優
- 9月14日
- 読了時間: 4分
2025年9月14日(日)
テキスト:ヨナ書3:10~4:11(旧約聖書1,579頁)
人は自分にとって異質なものと感じるものを受け入れることは簡単ではないのだと思います。ヨナのアッシリア王国の首都ニネベ(征服民に対して行った拷問と虐殺の残忍さ、道徳的な腐敗)に対する嫌悪感の強さはイスラエル民族でないと理解できないものがあるのかもしれません。
神さまがニネベに下すと言われたわざわいを思い直したのを見たヨナは、もう自分は「生きているより死んだほうがまし」(3節)なので、いのちを取って下さいと訴えました。神さまはそんなヨナに、「あなたは当然であるかのように怒るのか」(4節)と言われますが、ヨナはニネベの町を一望出来る山上に仮小屋を建て、40日そこにとどまって、町がどうなるかを見極めようとします。(5節)ヨナのこの行動は、自分が神さまに訴えたことにより、神さまがもう一度考えを変え、ニネベにわざわいを下してくれるのではないかという期待をもっての行動だったのかもしれません。
ヨナの怒りの矛先は究極的には神さまに向けられているのだと思います。神さまは自分を造られた存在の根拠であり、常に愛してほしい存在なのに、ニネベにわざわいを下さない神さまのことは受け入れられなかったのではないでしょうか・・。
仮小屋は40日間も住むには決して快適なものでななく、猛烈な暑さをしのぐための仮小屋に灼熱の太陽が容赦なく照り付けました。仮小屋を作ったのはヨナであり、ある意味、自業自得のようにして太陽の照り付けを受けました。しかし、神さまはヨナの気持ちをなだめるように、一本の唐胡麻(ひょうたん、あるいは、かぼちゃの類であると言われる。この植物は柔らかいつる状の茎とぶどうの葉のような大きな葉を有し、2,3日の短期間のうちに大きく生長して十分な日陰を作ることができる。しかし、茎が少し損傷しただけでも枯れてしまうひ弱な性質を持っている)を備えて下さいました。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜びました(6節)。しかし神さまは翌日の夜明けに一匹の虫を備え、一夜で、唐胡麻を枯れさせました(7節)。ニネベが滅びることが本当に一番最善のことなのかを考えてみてほしいと、焼けつくような東風を備え、太陽がヨナの頭に照りつくようにされました。ヨナは現在でいう熱中症のようになり、自分の死を願って、「私は生きているより死んだほうがましだ。」(8節)と言いました。
9節「すると神はヨナに言われた。『この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。』ヨナは言った。『私が死ぬほど怒るのは当然のことです。』」
4節にも「あなたは当然であるかのように怒るのか」とあり、神さまがヨナを𠮟りつけているようにも読めてしまいますが、「当然のこと」のもともとのことばは、「よい 受け入れられている 正しく扱っている」くらいの意味です。ですので、文脈も考慮して9節の意味を考えると、神さまはヨナに、唐胡麻のことで怒っていることも間違ってはいないし、わたしはそのままのあなたを受け入れていますと伝えたのだと思います。
ヨナ書を振り返ってみても、神さまはヨナを肯定し続けてこられたことが分かります。
〇従わなかったことを責められなかった〇安全な避難場所を備えられた(1:17)〇叫び声に真実に耳を傾けて下さった(2:2)〇必要が終わった時にはまた自由を与えられた(2:10)〇何もなかったかのように仕事を備えられた(3:1)〇自分を曲げてくれたヨナの仕事を尊く用いられた(3:10)〇不機嫌を緩和するために唐胡麻を備えられた(4:6)〇ヨナの反応は間違っていないと言われた(4:9)
神さまはヨナが神さまからのオファーを蹴っても、ニネベへの嫌悪感から様々なことで不機嫌になっても、神さまに怒りの矛先を向けても、あなたは間違っていないと、ヨナのそのままを受容して下さっていたのです。
私たちも神さまからの「あなたは間違っていない」ということばを聞き続ける必要があるのかもしれません。